溺愛音感
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「マキくんは……どう思う?」
「検討してみる価値はあるだろう。だが、無理をすることはない。ただ……」
信号が青になり、そのまま会話は途切れた。
ぼんやりと外を眺めながら、どうして自分はすぐに断らなかったのだろうと思った。
コンクールに応募したからといって、予選に通るとは限らない。
けれど、一歩踏み出せば、もう後戻りはできないだろう。
厳しい世界へもう一度飛び込む勇気が、自分にあるのか。
賞賛と酷評、どちらか一方だけを受け取ることは不可能だ。
たとえ酷評されたって、何の反応も返って来ないよりは、マシだと思うべき。
それくらいの覚悟がなければ、また潰れて終わる。
自信なんて、ない。
あるのは、不安だけ。
それでも、「ヴァイオリンを弾くのをやめる」という選択肢がないことだけは、はっきりしている。
(やめたくても、やめられないというのが正しいけれど……)
弾くだけで満足できるなら、いまのようにマキくんの専属でいればいい。
お金を得たいなら、勉強して講師になるという道もある。
でも、プロのソリストとして、もう一度演奏活動を再開させたいのなら、やはり何らかのきっかけが必要だろう。
(三輪さんが言うように、コンクールに出れば答えが見つかる……?)
「ハナ」
「ん?」
「着いたぞ」
「!」
考え事をしている間に、マンションの地下駐車場についていた。
(ゆっくり考えるなんて無理。ずうっと考えちゃいそう……)
エレベーターに乗り込み、「はぁ」と小さく溜息を吐いたら、マキくんが何の前置きもなくぽつりと呟いた。
「プロだろうとアマチュアだろうとかまわない。何年先でもかまわない。俺は……いつか、ハナが『KOKONOEホール』で演奏するのを聴きたい」
「…………」
「今日、改めて思った。ハナのヴァイオリンは特別だ」
「…………」
(もしかして、三輪さんにコンクールの話を持ち掛けたのは、マキくんなの?)
筋金入りの俺様王子様は、必要とあればポーカーフェイスを貫けるし、はぐらかすのも上手い。
訊ねようかと思ったが、正直に答えてくれない気がした。
だから、いろんな思いをひとつの言葉に詰め込んだ。
「……ありがとう」
「何がだ?」
「とにかく、ありがとうなのっ!」
ぜんぜん、感謝しているように聞こえないとわかっていても、泣きそうなのを堪えるために力いっぱい叫ぶ。
マキくんは、ジロリとわたしを見下ろして、俺様らしく偉そうに命令した。
「感謝の気持ちは、言葉じゃなく行動で示せ」