溺愛音感
ふっとマキくんが笑みをこぼす気配がして、俯いた顎を長い指で押し上げられた。
引き結んだわたしの唇を啄むようにキスをし、からかいの色を浮かべたアンバーの瞳で覗き込む。
「そんなに寂しいなら、一緒に出勤するか? 社長室に、ハナの机を用意させる」
そんなことをしようものなら、秘書の冷たい視線で滅多刺しにされそうだ。
「……しない」
「そうか。その気になったら、いつでも言え」
(その気になんて、ならないっ!)
「今夜は、レセプショニストの仕事が入っているんだったな? 終わり次第、連絡しろ。迎えに行く」
「え。いいよ」
ここのところ、オケの練習を優先させていたため、レセプショニストのアルバイトがおろそかになっていたが、今夜は久しぶりにシフトインする。
国内の若手音楽家で結成されたオーケストラは、粗削りながらも印象的な演奏をするという前評判。盛り上がれば、アンコールが少し長引くかもしれないが、九時過ぎには終わるだろう。
平日だから人通りも多いし、何の心配もいらないと思われた。
「大丈夫だよ。美湖ちゃんと一緒に帰るし」
わざわざ迎えに来てもらうなんて、気が引ける。
殺人的な忙しさは落ち着いたかもしれないが、休み明けの社長が暇なわけがない。
しかし、マキくんはそんなわたしの考えが気に入らないらしく、途端に不機嫌になる。
「ハナは、俺に迎えに来てほしくないのか?」
「や、そういうわけじゃないけど……」
「それなら、問題はないだろう。絶対に連絡しろ。いいな?」
「ふぁい……」
頑なな俺様に逆らっても無駄だ。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」