溺愛音感
チュッとわたしの頬にキスを一つ残し、出て行く背を見送って、深々と溜息を吐いた。
(マキくんって、俺様だけど……心配症で、甘い)
いつでも合理的に考え、無駄のない行動をしているように見えて、「保護欲たっぷりな世話好き」というのが真の姿だ。
素っ気なく冷たい態度が基本のツンデレのため、甘えられるとスイッチが入る。
しかも、振り幅が大きいので、ベッタベタのドロドロに甘やかす傾向にある。
だから、かえって相談しにくいのだ。
必要なアドバイスはしても、最終的には甘やかすから。
(コンクール……迷うくらいなら、応募しなくていいって言いそうだなぁ……)
コンクールに応募するか、しないか。
この一週間考え続けているけれど、未だ気持ちが定まらなかった。
応募の締め切りまではまだ日にちがあるとはいえ、そもそも課題曲の練習をしなければならないし、審査用のDVDを録画したり、書類を用意したりと準備が必要だ。
決断を先延ばしにするほどの余裕はない。
けれど、どうしてもいま一つ思い切れなかった。
いざ応募するとなれば、三輪さんも力を貸してくれるだろうし、右往左往することはないと思う。
勧められたコンクールについて自分なりに調べ、メリット、デメリットも十分検討した結果、挑戦したほうがいいという結論に至っている。
でも、何かが心の奥に引っかかって、踏み出せない。
(何が引っかかっているのか、自分でもよくわからないのが……困るんだけど)
酷評されることへの恐怖なのか。
未知の場へ飛び込むことに怖気づいているだけなのか。
変化への単純な警戒心なのか。
それとも、そのすべてに怯えているのか。
原因がわからないモヤモヤが胸につかえている。
(とりあえず……練習しよ)
首を振って、堂々巡りの思考を追い払い、音楽室へ向かった。
決心はつかないけれど、時間を無駄にはしたくない。
応募要項をインターネットで確認し、三輪さんの提案を受けた翌日から、課題曲となっているイザイの無伴奏曲とパガニーニの24のカプリースを練習し始めていた。
イザイもパガニーニも得意な作曲家だし、どちらの無伴奏曲も全曲弾ける。
けれど、コンクールで弾くのと路上で弾くのとでは狙いがちがう。
時と場所によって弾き分ける必要があるのかもしれない。
久木瑠夏がコンクールで弾いていた動画を見て、そう思った。
何が重要視されるのかを把握せずに、好き勝手に弾いてもダメな気がする。
ひとりで試行錯誤しても効率が悪いし、応募すると決めたら、きちんとレッスンを受けたほうがいいだろう。
(頼める人は……三輪さんくらいしか思いつかないけど)
弾き始めれば、無心になるのはいつものことで、気がついたら十二時を回っていた。