溺愛音感
ハナ、ヴァイオリンを弾く
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(うーん、いい声だったなぁ……ファンになっちゃった)
耳に残る艶やかで伸びやかな歌声を思い出し、ひとり口元を緩める。
今夜のレセプショニストのアルバイトは、小ホールで開かれたテノール歌手のリサイタル。
女性に人気のイケメン声楽家で、仕事も忘れてうっとり聴き入ってしまった。
トークも面白く、最後は花束や差し入れを持った熱烈なファンがステージに駆け寄っていた。
終了後のサイン会も長蛇の列。
購入したCDを手に順番を待つお客さまは、みんなとてもいい表情をしていた。
「好き」の持つパワーはすごい。
鼻歌を歌いながら、手早く着替え、古びたヴァイオリンケースを取り出す。
いつものように、私鉄の駅前にあるカラオケボックスへ向かう途中、今夜もバスキングをしているパフォーマーを目にして足を止めた。
(楽しそう……)
見物している人はまばらだけれど、笑い声や拍手が聞こえる。
父と、父の友人たちと演奏していた日々を思い出し、鼻の奥がツンとした。
『ハナ。区切りをつけなさい。いつまでも引きずっていては、自分が辛くなるだけよ』
先日、お見合いのあとで母に言われた言葉が脳裏を過る。
もう一度プロとして演奏活動ができる見込みはなく、人に教えられるような資格もない。
唯一の取り柄は、唯一の「趣味」にするしかない。
それが、現実だ。
定職に就くか、もしくはお見合い結婚をするか。
現在のわたしに残されている選択肢は二つだけ。
(インターネットで検索した記事には、「お見合いとは、どちらかがノーと言えば、それ以上話が先には進まないシステム」と書かれていたのに……)
三人が三人とも、人の話を聞かないタイプだから当然の結末なのかもしれない。
加えて、お見合いの数日後、松太郎さんが体調を崩して入院してしまったため、強硬に「破談にしたい」と言い難かったという事情もある。
幸い、松太郎さんの体調はすぐに回復して退院したが、病み上がりに心労は禁物。
機会を窺っているうちに、ずるずると日が過ぎて、すっかりタイミングを失ってしまった。