溺愛音感
「夢……」
「一流のヴァイオリニストとして活躍することを夢見ていたから、ハナが有名になり、売れれば売れるほど、自分の夢が次々叶っていくような錯覚に陥った。でも、同時に……ハナが羨ましくて、妬ましかったんだろうな。心のどこかで、俺が望んでも手にできなかったものを与えてやっているんだから、多少の批判くらいで弱音を吐くなんて贅沢だと思っていた。だから、ハナが弾けなくなってしまうまで……どんどん仕事を詰め込んで、利用できるものは何でも利用して、ハナの気持ちを置き去りにすることに、何の罪悪感も覚えていなかった」
「…………」
確かに、和樹は彼の夢をわたしを通して叶えようとしたのかもしれない。
でも、和樹の手を取り、彼と創り上げた「Hanna」としてもてはやされることを望んだのは、わたし自身だった。
お互いが、お互いを利用していたのだと思う。
二人とも、自分のことしか見えていなかった。
たとえ、原因を作ったのがどちらか一方だったとしても、二人で始めたことならば、終わりもまた、二人で決めるべきだった。
そういう意味で、わたしと和樹の一年前の「別れ」は中途半端なものだ。
どちらも、お互いの気持ちをきちんと知らないまま、関係を断ち切っただけだった。
「利用したのは……お互い様だと思うけど。わたしだって、和樹が何でもやってくれることに甘えて、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかさえ、ちゃんと考えていなかった。与えられた場所で弾けばいいとしか、思っていなかった。あの時だって……婚約を破棄したのだって、何もかも人まかせだった。逃げるだけで、和樹と話そうとしなかった。和樹の気持ちを知ろうともしなかった」
わたしの言葉に、和樹は目を細めてふっと笑った。
「ハナは……相変わらず、優しいな」
「え?」
「あんなものを見せられて、話し合うどころか顔を見るのもイヤだと思うのが、普通だろ」
「そうかもしれないけど、一年も前のことだし……」
「俺にとっては、ほんの一年前……つい最近のことだ。でも、ハナにとっては、もう過去のことなんだな?」
「それは……」
和樹にとっても、あの日の出来事は、忘れられない辛い記憶だったのだろう。
あの時からずっと、後悔と罪の意識に苛まれていたのかもしれない。
「いや、ハナを責めているわけじゃないんだ。苦しめた俺が言うのも虫のいい話だけれど、ハナにとって、あの出来事が過去になっているとわかって、ほっとした」
その言葉通りに、和樹は柔らかな笑みを浮かべ、懐かしいまなざしをわたしに注ぐ。
温かくて、優しくて、大事に思ってくれていることが伝わるまなざしを――。
「……うん。もう、過去、なんだと思う」
「俺のことも?」
「うん。だから、こうして会って、話せるんだと思う」