溺愛音感
しかし、なぜ知っているのかと口を開きかけたわたしを制するように、和樹が訊ねる。
「弾けるようになったのは、九重社長のおかげか?」
「う、ん……たぶん……」
あの日、路上演奏をためらうわたしにメッセージを送ってくれた人が誰なのか、確かめてはいない。
でも、きっと「彼」だと確信している。
「あの人なら、ハナの活動を支援する財力も人脈もたっぷりあるだろうな。ピアノもプロ並みだ。ヴァイオリンの伴奏も、演奏のアドバイスもできる。語学も堪能で、日本語が完璧ではないハナとのコミュニケーションも困らない。きっといい理解者でいてくれる」
まるでマキくんをよく知っているような口ぶりが不思議だった。
「マキくんのこと……知ってるの?」
「部門はちがうけれど、大きなコンクールで何度か見かけたことがあった。てっきり、その道に進むのだとばかり思っていたから、高校卒業と同時にやめたと聞いて驚いたよ」
(言われてみれば、和樹はマキくんより三つ下なだけだから、名前や存在だけは知っているってことも、十分あり得るんだ……)
もしかしたら、マキくんも和樹のことを知っていたのかもしれないと考える耳に、思いがけない言葉が飛び込んできた。
「でも、ピアノの道に進まなかったことを後悔はしていないそうだ」
「え?」
「音楽を通して自分を表現するよりも、誰かが作り出した作品を世に送り出す方が好きだから、『KOKONOE』の仕事を選んだ。ピアノはいまでも好きだけれど、誰かに聴いてほしいとは思わないし、ハナと演奏できればそれだけで十分満たされると言っていた」
「それって……いつ、いつの話したのっ!?」
どこをどう聞いても、直接話したとしか思えない。
驚くわたしに、和樹は小さな溜息を吐いた。
「コミュニティホールの駐車場でハナに会ったあと、呼び出されたんだよ」
「え」
「無断でハナに近付いたら、社会的に抹殺し、会社ごと潰すと脅された。とても冗談とは思えなかった」
和樹は、声を潜め、大げさに身震いして見せる。
(ま、マキくんなら本当にやりかねない……)
「厄介な相手に捕まったな? ハナ」
同情というより、憐れみのまなざしを向けられて、つい視線をさまよわせてしまう。
厄介であることは否定できないが、俺様な要求をされてもイヤではない。
わたしを思ってのこと、という大前提がある……はずだから。
極端な独占欲も、過保護な性癖が行き過ぎなだけ……のはずだ。