溺愛音感
今回の見合いが上手くいかなければ、当然次が用意される。
母の言うように、いい加減ヴァイオリニストであることは、諦めなくちゃならないと頭ではわかっていた。
けれど、どこで、どうやって区切りをつければいいのかわからず、踏ん切りがつかない。
(いっそのこと、完全に弾けなくなってしまえば諦めもつくのに)
ヴァイオリンを弾く腕があるというだけで感謝すべきなのに、そんなことまで思ってしまう自分にうんざりし、夜空を見上げて溜息を吐く。
(星、見えないな……)
日本の夜は明るすぎるから、見たくないもの、知りたくないことまで見えてしまう。
夢を見なければ――。
届くはずのないものに手を伸ばしたりせず、路上で演奏する生活に満足していれば、いま頃はどこかの広い空の下でヴァイオリンを弾いていられたかもしれない。
傷つくことも、癒えない傷に苦しむことも、なかったかもしれない。
夢は、もう見たくないのに。
どうして、諦めきれないのだろう。
聴かれるのが怖いくせに、どうしてもう一度、「誰か」に聴いてほしいと思うんだろう。
どうして、ただ弾くだけでは満たされないんだろう。
(一度味わったものを忘れられないだけ? それとも……)
溢れそうになる涙を押し戻そうと瞬きを堪えて空を見つめる耳に、鈍い振動音が聞こえた。
震えるスマホを鞄から取り出し、通知を確かめる。
見覚えのないアカウントから、メッセージが届いていた。
怪訝に思いながらタップした画面に表示されたのは、ある曲名。
『Après un rêve』
(夢のあとに……って、フォーレ?)
首を傾げていたら、手の中のスマホが再び震えた。
『Suona, alla Hanna』
――ハンナ風に、弾きなさい。
無音のメッセージのはずが、父の声が聞こえたような気がした。