溺愛音感
なぜ、和樹がもう許可をもらっていると言ったのか。
迎えに行くから連絡しろと言っていたマキくんから、電話もメッセージも来なかったのはなぜなのか。
ようやく理解した。
(わたしが路上演奏していたところへ和樹が現れたのは、偶然ではなくて……マキくんが連絡したのだとしたら……)
わたしたちと同じカフェにいたことも、辻褄が合う。
「わたし……和樹とヨリを戻そうなんて考えてないよ」
混乱しながらも、かろうじて、揺るがない気持ちを言葉にした。
けれど、それもあっさり否定される。
「いまはそうでも、この先、状況が変われば、気持ちも変わるかもしれない。先のことまで考えた上で、ハナにとって最善の道を選ぶべきだ」
「マキくんは……わたしと一緒にいたくないの?」
「そんなことはない」
「じゃあ、どうして……」
「ハナが、心置きなくヴァイオリンを弾くためには、枷になるものはできるだけ排除すべきだ」
「……枷?」
「必要のない関係は、断ち切るべきだ」
「必要、ない……」
必要ない関係というのは、わたしから見たマキくんとのことで、マキくんがわたしを切り捨てようとしているわけではない。
わたしのことを一番に考えて、わたしが迷わなくていいように、先回りして一番いいと思う結論を提示しているだけだ。
わかっている。
わかっているけれど、腹立たしくて、悲しくて、情けなくて、ちっとも嬉しくなんかなかった。
「わたしが一緒にいたいのは、和樹じゃないっ! マキくんだよっ! だから、マキくんと一緒にいるためには、どうすればいいか、考えようと思っていたっ!」
「お互いのためにならないなら、一緒にいる意味はない」
「意味はないって……何で、そんなことわかるのっ!?」
一方的に決めつけるマキくんを睨みつける。
すぐに答えは返って来なかった。
四杯目のワインを飲み干して、マキくんはようやく引き結んだ唇を開く。
「現実的に考えれば、わかることだ。ヴァイオリニストとしてキャリアを積むには、活動拠点は欧州に置くべきだし、できる限りどんなオファーも引き受けたほうがいい。世界中を飛び回るには、日本に住むのは地理的に不便すぎる。結婚したとしても、ほぼ別居状態になるだろう。そうなれば、夫婦関係は形骸化する。物理的な距離と心の距離は比例し、離れていても気持ちは変わらないなんて世迷言だ。助けを求めている時、傍にいてくれない存在を頼りになんてできないだろう?」