溺愛音感
夏の芸術祭のあと、諸々の手配を終えたら、わたしが日本を離れるのは、ほぼ決定事項になりつつある。
約半年後に発表されるDVD審査の結果を待たずに、あちらへ渡るべきだと考えているのは、音羽さんだけでない。三輪さん、友野先生も同じ意見だった。
わたしの日本語は完璧とは言い難いので、コミュニケーションに支障のない場所で、レッスンを受けるのが最善だし、あちらに拠点を置いて準備を進めておけば、第一目標のコンクールでDVD審査を通らなかった場合でも、目標を別のコンクールに設定し直し、行動に移すのが容易だ。
いまでは女帝と呼ばれる音羽さんも、いくつかの超有名なコンクールのピアノ部門に挑戦し、惨敗したり、優勝を果たしたりしている。
世界中で開かれる数々のコンクールは、それぞれに特色があり、応募者はもちろん、審査員の顔ぶれも異なるものだ。
本人の体調や精神状態、課題曲との相性もある。
Aというコンクールではダメでも、Bというコンクールなら好成績を残せる可能性はゼロではない。
だから、コンクールの結果に必要以上に落ち込んだり、舞い上がったりしないように、と三輪さんにも言われていた。
続けてコンクールに挑戦するかどうかは、実際体験したあとでなければなんとも言えないけれど、結果がどうであれヴァイオリンを諦めるつもりはない。
もちろん、マキくんと過ごす未来を諦めるつもりもない。
(とは言っても……)
未だ、妙案がちらりとも浮かばない現実に、深々と溜息を吐く。
毎日一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、演奏し、抱き合って眠っても、わたしとマキくんの間にあるわずかな隙間が埋まらない気がしてならない。
一緒に食事をしている時、お風呂に入っている時、寝入りばななど、ふとした拍子に彼が見せる、心ここにあらずといった表情が隠し切れない本心を表しているような気がする。
わたしがヴァイオリンを優先し、彼との未来を手放すことになってもしかたないと諦めている気がするのだ。
(このまま日本を離れたくない……)