溺愛音感
「わたしにできることがあれば、遠慮なく言ってちょうだい。柾さんにはお世話になりっぱなしなのよ。彼の幸せのために、最大限協力させていただくわ」
「はい、ありがとうございます!」
協力を申し出てくれた花梨さんは、窓の外へ目を向ける。
「ところで、どこまでお送りすればいいかしら? もうすぐ柾さんのマンション前を通りかかるのだけれど……?」
「え、あ、はい。そこで降ろしてください」
とりあえず、起死回生――とまではいかないが、いまの状況を百八十度変える作戦を立てなくてはならない。
協力を求めるべき数人の顔を脳裏に思い浮かべ、降りる準備をしていたら、マンション前の車寄せに入ろうとした運転手さんがなぜか手前の路肩に車を停めた。
「どうかしたの?」
「気のせいかもしれないのですが、入口付近にいる男性はここの住人には見えないような……」
言われてみれば、マンションのアプローチに若い男性が佇んでいる。
何の変哲もないジーンズにシャツ姿。手にしたスマホをしきりに操作しているが、時折顔を上げてあたりを見回す仕草が気になった。
後部座席から身を乗り出し、その姿を確認した花梨さんはぎゅっと眉根を寄せて運転手に車を出すよう命じる。
「怪しいわね。一旦通り過ぎましょう」
「はい」
車が再び車線へ戻り、マンションの前を通過するタイミングで彼が顔を上げた。
一瞬、目が合い、その口が何かを叫ぶのが見えた。
こちらへ向けられるスマホ。
写真を撮られる、と思うより先に、花梨さんの手がわたしの頭をいきなり沈めた。
「わっ」
「バカね、どうして隠れないのっ!」
「ご、ごめんなさい……」
(く、首が折れるかと思った……)
「しばらく、柾さんのマンションには帰らないほうがいいかもしれないわね……どこか、滞在できるような場所はある?」
電話を架けながら訊ねられ、咄嗟に思い浮かんだのは女帝(母)の城だ。
高級住宅地で、不審な人物がウロウロしているとどこかのお宅から警察へ通報されるし、城自体にもインターホンがなく、事前連絡なしの訪問はシャットアウト。
住人が門を開けない限り、中には入れない。
無断で敷地に入ろうものなら、セキュリティ会社から大勢の警備員が駆け付ける仕組みだ。
「えっと、たぶん……」
「とりあえず、そちらへお送りするわ」
合鍵を持っているので、彼女がツアーで不在にしていても入ることはできるし、いつ来てもかまわないと言われている。
一応メールだけ送ろうとスマホを操作していたら、いきなり耳に何かを押し当てられた。
「柾さんよ。ハナさん」
「え?」