溺愛音感


これまで、結婚に乗り気と思わせるような言動をしていたマキくんを振り返り、苦い気持ちが込み上げた。

弄ばれたとか、ないがしろにされたとかは思わない。
大事にされていないとも思わない。

でも、本気で結婚する気がないから、あんなに軽々しく「結婚」を口にしていたのだと思う。

なかなか立ち直れずにいるわたしが、自分で自分を追い詰めないように、逃げ道、居場所を提示してくれただけ。

わたしが同意するはずがないと。
わたしは彼との未来より、ヴァイオリンを選ぶと。

そう思っていたから、いくらでも甘い言葉を囁き、強引な真似ができたのだろう。

素直じゃない俺様は、本当の気持ちはなかなか口にしないし、本当に欲しいものにもなかなか手を伸ばそうとしない。

あらゆる可能性や必要性を考えて、コントロールできない感情ではなくて、理性を優先させるのが一番いいと思っているから。


(でも、それじゃあ……幸せにはなれないよ。マキくん)


幸せは、そう感じようと思ってどうにかできる感情ではない。
いちいち「なぜ」なのかなんて分析したあとで、感じるものではない。

すばらしい演奏に、聴いた瞬間から心を奪われるように、押し寄せる感情に抗うなんて無理なことだから。

経営者としての責任や家長代わりとしての責任。
多くを持っていながらも、けっして自由ではない人だから、せめてその心だけでも自由にしてあげたかった。

彼がためらうことも遠慮することもなく、思うように、望むままに、わたしと向き合い、その気持ちをさらけだせるようにしてあげたい。

暑苦しいくらいの愛情は、枷ではなくて支えになるのだと信じてもらいたい。

< 334 / 364 >

この作品をシェア

pagetop