溺愛音感


弾き終えて、小さく息を吐く。

そのぬくもりも、呼吸も感じることのできない距離では、ソファーに座り、目をつぶったまま身じろぎもしないマキくんが起きているのかどうかわからなかった。


「マキくん?」


そっと呼びかければ、伏せられていた目が開かれる。


『ハナは、意外にバッハが合うな』

「い、意外って……」

『見た目よりも落ち着いていて、安定していて、大人だ』

「…………」

(ここは……喜ぶべき? それとも、怒るべき?)

褒められているのか貶されているのかわからない。
困惑して、返す言葉を探していると思いがけない名前が聞こえた。


『今日、中村が改めて退職の挨拶に来た』

「えっ」


カメラに映るマキくんの表情は硬く、何があったのか不安になる。


「あの、中村さん何か……」

『花梨に呼び出され、ハナに叱られたと言っていた。今回の件で、一番傷ついたのは俺だから、ハナではなく俺に謝れと言われたと』

「あ、う……その……」


拒絶したのか、それとも素直に謝罪を受け入れたのか。
マキくんの表情からは、読み取れない。

彼女に対し、解雇ではなく、退職という形を取ったマキくんだ。
酷い態度ではねつけるなんてことはしなかったと思うが……。


『慰留はしなかったが、謝罪は受け入れた』


ほっと胸を撫で下ろしかけ、果たして話は謝罪だけで済んだのだろうかという疑問が湧き起こる。


「ほ……ほか、には……?」


マキくんはしばし沈黙したのち、ぽつりと呟いた。


『告白された』


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