溺愛音感
「…………」
『瑠夏と付き合う前から、好きだったと言われた。いまも、その気持ちは変わらないと』
「そ、う……」
こんなことになってからでなければ、気持ちを打ち明けられなかった彼女を思うと胸が痛かった。
瑠夏さんとマキくんを二人を引き合わせたのは自分で。
マキくんの傍にいる権利も理由も失ってしまったのは自分のせいで。
でも、その根っこにあったのは、押し殺してきたマキくんを好きだという気持ちだ。
マキくんはぎゅっと眉根を寄せ、隠し切れない後悔が滲む声で独白した。
『遠回しに牽制するのではなく、もっと早く言わせてやっていれば……こんなことには、ならなかったかもしれない。中村は頭がいい。一切プライベートに関与させず、あくまでも仕事上の付き合いしかしなければ、そのうち諦めて、割り切れるはずだと思っていた。人の心まで、思うように操れると考えていた俺の傲慢さが、アイツを追い詰め、こんな事をさせてしまった』
ちがうとは、言えなかった。
でも、マキくんは彼女を苦しめたかったわけではない。
彼女の望むような形ではないけれど、大事に思っていた。
『俺は……瑠夏への罪悪感を宥めるために、中村を傍に置いていたのかもしれない』
「それは……そういう気持ちがまったくなかったわけじゃないかもしれないけれど、でも、マキくんが中村さんを頼りにしていたのは、それだけじゃないでしょう? 中村さんだって……マキくんの傍にいるのが辛いだけじゃなかったはずだよ。お互いがいてくれたから……瑠夏さんが亡くなった悲しみを少しは和らげることができたんだと思う」
『たとえそうだったとしても、ハナを巻き込んでいいことにはならない。そもそもは、部下を管理できなかった責任が……』
再び謝罪を繰り返しそうな気配に、先を制する。
「迷惑をかけたのはわたしだし、これは必要なことだったんだよ。わたしにとって」
中傷記事を目にしても、インターネット上で騒がれても、かつてのように深く傷つくことも、落ち込むこともなかった。
昔とはちがう自分がいることを確かめられた。
これから起きるであろうことにも、対処できるはずだと自信を持てた。
大事なものを守るために強くなりたい、強くなろうと思えた。
だから、これまで起きたこと全部が、必要なことだった。
「今回の騒ぎのきっかけを作ったのは中村さんでも、百パーセント彼女のせいじゃない。わたしが、記事に書かれるような生き方をしてきたのは、本当のことだから」
『ハナ、』
「こんなことくらいで諦めるなら、最初からもう一度挑戦しようなんて思わないよ」
『だが……』
「マキくん。わたしは、普通の家庭環境じゃなかったし、学校にも通えなかったけど、不幸だなんて思ったことない。プロになって、批判や噂にさらされて、辛くて苦しい思いをしたけれど、それ以上に貴重な経験をたくさんした。ヴァイオリンを弾けなくなったことだって……マキくんに出会うためには、必要なことだった」
『…………』
「マキくんがいてくれたから、ずっと弾けなかった曲も弾けるようになった。マキくんに言いたいことがあるとすれば、それは苦情や抗議じゃなくて……感謝の言葉だよ。マキくんがいてくれなかったら、わたしはいまもまだ、人前ではヴァイオリンが弾けないままだったと思う。マキくんがあの言葉を言ってくれたから……」
『Sucuona, alla Hanna』
「あの夜、マキくんが背中を押してくれたから、こうしてヴァイオリンが弾けるんだよ」