溺愛音感
わたしの言葉が、今度こそ彼の胸に届いたかどうかは、確かめられない。
けれど、伏し目がちな顔には、揺らぐ気持ちが現れている。
「だからマキくん、ちゃんとピアノ練習しておいてね? 提出期限は来週末で、何度も撮り直す時間はないと思うし。録画する前に、三輪さんにも聴いてもらいたいし」
『ああ……わかっている』
「それから、明日の美湖ちゃんたちのランチコンサートだけど……わたしが行くと迷惑になるかもしれないから、マキくんが代わりに聴いておいてほしい。マキくんがいれば、お客さんもたくさん来てくれると思うし」
『……約束はできないが、善処する』
客寄せパンダ扱いにむっとしたのか、形のいい眉をわずかに引き上げたものの、承諾してくれた。
「最後までちゃんと聴いてね?」
『ああ』
(これでよし! と……)
とりあえず、できる限りの手は打った。
あとは、明日を待つだけ。
時計の針はもうすぐ十二時を回ろうとしている。
今日もお疲れにちがいないマキくんには、睡眠が必須だ。
「マキくん、もう遅いから寝たほうがいいよ。電話切るね?」
『そうだな』
「おやすみなさい」
しかし、通話を終了させようとしたところで、呼び止められる。
『ハナ』
「ん?」
『…………』
呼び止めたくせに、何も言おうとしない。
そんなマキくんを訝しく思いかけ、「もしかして」とあることに思い当たる。
俺様が言えない言葉があるとすれば……。
「わたしも、マキくんに会えなくて寂しいよ」
『…………』
ハッとした表情になり、次いで視線をさまよわせて俯いたその身体を抱きしめてあげたくても、手が届かないことがもどかしい。
だから、これ以上先延ばしにはできなかった。
「わたし、マキくんに会って、話したいことがある。だから……待たないよ」
『……?』
「おやすみ、マキくん」
問い詰められたら、うっかり企みを白状してしまいそうで、顔を上げたマキくんが疑問の言葉を発する前に通話を終了させる。
(あと、できることといえば……)
いくら入念に準備しても、本番に何が起こるかわからない。
ヴァイオリンをケースにしまい、これまで一度も頼りにしたことのない神様にお願いしておいた。
(どうか、明日は上手くいきますように)