溺愛音感


(まさき)くんの知り合いかな?」

「え、あ、いえ、ちょっと用があるだけで……すぐに帰りますので」


社長(毒舌)が「諭吉」をくれた人と同一人物だとはとても信じられなかったが、足元にはついさっき目にした磨き抜かれたオックスフォード、ストレートチップの靴。

わたしが追いかけて来たことに驚いていない様子からも、まちがいなさそうだ。

訊きたいこと、確かめたいことは山ほどあるが、まずはやらなきゃいけないことがある。

ツカツカと彼に歩み寄って、ずいっと握りしめていた一万円札を差し出した。


「これ、お返しします」

「返す? どうしてだ?」

「一万円は高すぎると思うので」


理由を述べた途端、彼は首を振り、呆れたように吐き捨てた。


「……おまえ、バカなのか?」

「ば、バカっ!?」

「どれほどの価値があるかどうかは、聴いた人間が決める。それが路上演奏の醍醐味だろう?」

「でも……」

「やると言ってるんだから、大人しく貰っておけ」

「でもっ!」

「ごちゃごちゃ言うな」


言い争いになりかけたところへ、マスターが割って入る。


「まあまあ、二人とも落ち着いて。柾くん、女の子には優しくしないとね? お嬢さん、まずは座って。お名前は?」

「え、あ、は……ハナです」

「ハナちゃん。一応確認させてもらうけど、未成年じゃないよね?」


声を潜めて問うマスターに、苦笑いしてしまった。

明るい茶髪の天然パーマに童顔、小柄なため、いくら化粧をしていても十代に見られるのは日常茶飯事だ。


「はい。成人してます」

「じゃあ、大丈夫だ。何を飲む? 飲みやすい甘口のカクテルも出せるよ?」

「え、あの、わたし……」

「いいから、座れ」


イケメン社長(毒舌)が、自分のすぐ隣の席を示した。

できれば、一番遠く離れたカウンターの端に座りたいくらいだったが、全身から醸し出される圧に逆らえず、できるだけ椅子の端っこに腰を下ろす。


「……お、お邪魔します」

「あ、そのケースは横の席に置いていいからね?」

「ありがとうございます」

「飲みたいものはあるかな?」

「えっと……」

< 35 / 364 >

この作品をシェア

pagetop