溺愛音感
「失礼。それはまた、随分明確な線引きだね? 見た目や性格なんかは関係ないってこと?」
マスターは、無理に笑うのを堪えているような、奇妙な表情で詳しく訊いてくる。
「そういうわけじゃないけれど……十以上差があったら、さすがに話や感覚が合わないと思うから」
「そうとも限らないんじゃない? 共通の趣味があれば、話題には困らないよ。何より、年上なら包容力もあって、甘えられると思うけど?」
「でも、趣味ないし」
「あれ? ヴァイオリンは、趣味じゃないの?」
「趣味って、ストレス発散できるもので、楽しいもので、飽きたらやめてもいいものだと思う。けど、楽しくなくてもやめられないのは、趣味じゃないと思う」
お酒のせいなのか、それともマスターのイイ声のせいなのか。
はたまた店名のようなゆったりとした雰囲気のせいなのか。
いままで誰にも言えなかったようなこともするりと口をついて出る。
趣味だと言えれば、きっとこの苦しさもなくなる。
でも、まだ「趣味」にはできていなかった。
今夜で区切りをつけようと思っていたのに、思いがけず人前で弾けてしまった。
まぐれかもしれないし、今夜だけの魔法かもしれない。
けれど、心は揺れている。
誰が、あのメッセージを送って来たのか、追究したくないと思うほどに。
この夢から、醒めたくないと思うほどに。
「なんだか難しいこと言うねぇ?」
「わたしも、よくわかっていないけど……」
「考え過ぎはよくないよ。辛いことがあるなら話してみたら? 言葉にするだけでも、だいぶ気持ちが楽になる。泣いたのは、演奏に感動したからじゃないでしょう?」
「…………」
日本に来てまで、元婚約者と遭遇するなんて思ってもみなかった。
毒舌の失礼極まりないイケメンが、アルバイト先のホールのネーミングライツを所有している会社の社長だなんて知らなかった。
そのイケメン社長(毒舌)とお見合いし。
しかも、なぜか破談にできないなんて、想定外。
さらには、路上演奏でお断りする予定のお見合い相手から一万円をゲットして、思いがけずに父の演奏を聴いて号泣することになるなんて……。
(人生は奇なりとか言うけれど、アレコレありすぎ)
何から、どうやって説明すればいいのか、わからない。
ところが、横にいたイケメン社長(毒舌)は、複雑なわたしの事情と心境をあっさりまとめた。
「男に裏切られ、職も居場所も失って、どん底にいる」