溺愛音感
(あ、あた、当たってる……)
探偵か、超能力者かと驚きかけて、そうではないと思い至る。
(お見合いって、相手の情報を事前に知らされるんだっけ。だったら、わたしの過去も全部知っている……?)
お見合いの話が出た段階で、母が松太郎さんに「わたし」に関することを全部ぶちまけていた可能性は高い。
婚約者に捨てられたことも。
プロのヴァイオリニストで居続けることができなかったことも。
未だに過去を引きずり、諦めきれずにいることも。
すべてを知られている。
不思議と、恥ずかしいとか気まずいとか、そんな気持ちにはならなかった。
改めて自ら告白する必要がないことに、安堵さえした。
それに……同情や憐れみは、もうたくさんだった。
「失恋した時は、思い切り飲んで、喚いて、泣き叫ぶといいよ? ハナちゃん」
マスターは同情のまなざしでわたしを見つめ、新たな一杯を差し出してくれた。
「泣き叫ぶほどの未練は、もうないです」
「とてもそうは見えないが?」
意地悪く指摘するイケメン社長(毒舌)にむっとして言い返す。
「婚約しているくせに、ほかの女を部屋に連れ込んで昼間っからヤってるような男に、未練なんかあるわけないでしょぉっ!?」
「おっと……それはまた……修羅場だったねぇ……」
「修羅場、だったのかもしれないけど……憶えてません」
「憶えていない? 思い出したくないってこと?」
訝し気な顔をするマスターに、首を振る。
「いえ、言葉どおり憶えてないんです。一時的な記憶障害みたいなもので……」
ショックが大きかったのか、彼の部屋を訪ね、裸の女性と一緒にいるのを目撃してから十日分の記憶が欠落していた。
気がついた時には、すでに日本ーー母の家にいたのだ。
記憶はないが、おそらく何もできなかったであろうわたしに代わって、渡航手続きやエージェントとの遣り取り、和樹との婚約破棄に至るまで、母の友人である弁護士がすべて片付けてくれたらしい。
しかもその人は、母がコンサートツアーの合間を縫って迎えに来るまでの一週間、わたしの面倒を見てくれていたそうだ。
が、残念なことに顔も名前も、声すらも憶えていない。
ずっとお礼を伝えたいと思っているのだが、母には「忙しい人だから、そのうちね」と言われ、会わせてもらえずじまいだった。
「ハナちゃんのようなかわいい子を振るなんて、その男はバカだなぁ。きっとプライドが高すぎて、才能のあるハナちゃんに嫉妬したんだよ」
「マスター。本当にプライドが高いヤツは、嫉妬なんかしない。自分が一番だとわかっているんだから、卑屈になる要素がない」
イケメン社長(毒舌)の暴言に、マスターの優しい言葉で滲みそうになった涙も引っ込む。