溺愛音感


「あ、その辺で降ろしてもらえますか? 飲む前の一瓶、コンビニで仕入れていくので!」


マキくんが繁華街の裏路地にあるコンビニ前に車を停めると、美湖ちゃんは手のひらサイズのチラシを差し出した。


「明日の午後、オケの宣伝のために路上演奏するんです。もしお時間があれば、お二人で聴きに来てください!」

チラシに並ぶのは、誰もが知っているクラシックの名曲、アニメソング、日本の童謡など。
三十分くらいのプログラムで、小編成だが弦、金管、木管など各パートを紹介するように考えられている。


「楽しそう。都合が合えば、行くね?」

「はい! ぜひぜひ! 送っていただきありがとうございました、九重社長。ハナさん、おつかれさまでしたぁ」


ドアが閉まった途端、車内は急に静かになった。


「賑やかすぎる」


再び車を発進させたマキくんは、小さく溜息を吐いた。


「でも、まあ……ハナと気が合いそうだな」

「そう?」

「ああ」

「実は、今日一緒に飲もうって誘われた」

「……なんだと?」


エアコンが入っているわけでもないのに、なぜか横から冷たい風が吹き付けて来るのを感じた。


「急だったから、断ったけど。でも、また誘われたらどうしようかな……」

「面子に男がいなければ、行ってもいいだろう」


俺様な言い分に、むっとする。


「それって、マキくんの許可がいること?」

「いる」

「でも……」


お見合いはしたけれど、婚約はしていない。
同居というよりも、飼われている。
散歩には連れて行ってくれるけど、デートではない。

お風呂で洗われ、一つのベッドで一緒に眠っているし、記憶はないが一回はしてしまっている。
けれど、恋人同士でもなければ、セフレでもない。

清い、というには語弊があるけれど、最初の時を除けば……何もしていないのだ。

マキくんは「洗う」「触る」「キスをする」以上のことはしない。
わたしがあと三キロ太り、食べ頃になるまで待つと宣言している。

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