溺愛音感
「大作曲家に対して『くらい』って、あんたナニサマ?」
「美湖は黙ってろよ! 四季の『春』第一楽章と『夏』第三楽章、ソロできるよな?」
「あのね、ヨシヤ。誰と勘違いしているか知らないけれど、ハナさんは……」
「だからおまえは黙ってろって! ついさっき、三輪さんから、家を出る時ぎっくり腰になって動けないって、連絡があったんだよっ!」
「ええっ!?」
「代役を頼もうにも、弾ける奴は一人も捕まらない。もともと、誰も都合がつかないから、ご老体の三輪さんに無理を言ってお願いしてたのに……」
「そ、そんなこと言ったって、誰かひとりくらいはいるはずよっ! わたしの大学の友だちにも連絡を……」
どうやらソリストがぎっくり腰で来られず、代役もいないということらしい。
美湖ちゃんは青ざめながらも何とかしようと提案するが、バカヨシヤは首を振った。
「時間がない。こいつがダメなら、弦の演奏は中止だ」
「そんなっ!」
「まともな演奏ができないなら、やらない方がマシだ。俺たちは、騒音を聞かせるために、ここにいるんじゃないんだぞ」
プロなら、予定していた曲目を直前で変更することもあるし、予備の曲も用意しているものだが、昨夜美湖ちゃんがなかなかメンバーが揃わないと言っていたことを考えると、そんな余裕はないのだろう。
「でも……せっかくいい宣伝になるのに……」
泣きそうな顔をして、遠巻きに演奏を待っている人たちを振り返る美湖ちゃんの姿に、胸が痛む。
(小品でもいいから、一曲くらい演奏できないの?)
設立間もないオケを一生懸命盛り立てようとしている彼女の気持ちを考えると、どうにかできないのかと思ってしまう。
オケのファンが増えれば、団員だって増えるかもしれない。
そうしたら……美湖ちゃんはもっと楽しく演奏できる。
(どうしてヴァイオリン置いてきちゃったんだろう……)
手ぶらで来てしまった自分を恨めしく思い、そんなことを思った自分に驚く。
(わたし、何を考えて……)
「ハナ」