溺愛音感


深呼吸して、つい数分前に顔を合わせたばかりのメンバーと頷き合う。

プロではないが、初心者でもない人たちだ。
弾き始めてすぐに、手加減しなくてもいけるとわかった。

第一ヴァイオリンの男性は何か感づいたのか、わたしと目が合うとギクリとしたように眉を引き上げる。

一曲目が無事終わり、二曲目を弾き始めるなり、全員の表情が一瞬強張り、バカヨシヤがこちらを睨むのが見えた。

口パクで言ってやる。


『本気出しなさいよ』


あとに大曲が控えているわけではないのだから、全力で弾いても問題ない。

『Le quattro stagioni - Concerto No.2 in Sol minore (L'estate) : III. Presto』

夏の嵐――長大なトレモロは、失速したら興ざめだ。

無表情に、優雅に、涼しい顔をして弾く、上品なスタイルもある。

でも、広々とした空の下で弾いているのに、気取った演奏をする必要なんてどこにもなかった。

風で髪がぐしゃぐしゃになり、降り注ぐ日差しで汗が滲む。

車の行き交う音、通行人の靴音、電車の発車を告げるアナウンス――。
さまざまな雑音さえも、ここでは音楽の一部だ。

美湖ちゃんがうっかり手放したチラシが風に舞い上がり、バカヨシヤの横顔に貼り付いた。

始まりから終わりまで、一瞬たりとも気が抜けない曲だというのに、演奏しているメンバーの顔にも、聴いてくれている人たちの顔にも笑みが浮かぶ。

子どもの無邪気な笑い声が聞こえた。



懐かしい光景。



場所も、一緒に演奏している人も、聴いてくれている人たちも、何一つ過去と同じものはないのに、とても懐かしくて……愛おしい。


いつまでも終わってほしくない、そんな気持ちを抱きながら、最後の一音まで駆け抜けた。


(終わっちゃった……)


夢から醒め、ほっと息を吐き、借り物のヴァイオリンをゆっくりと下ろす。

拍手をくれる聴衆に一礼し、信じられないと言いたげな表情のメンバーを見て感じたのは、長い間、忘れていた気持ち。




(すごく…………)




楽しかった。



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