溺愛音感
(とにかく……お風呂……着替えて、それから水……)
熱に浮かされた頭では、まともに考えられない。
とりあえず、やらなくてはいけないことをこなそうと、ソファーから起き上がる。
ふらふらする身体を支えるために、壁を伝ってバスルームへ向かおうとした時、バタンと大きな音がし、唐突に部屋が明るくなった。
「ハナっ!?」
駆け込んで来た俺様な飼い主は、手にしていた鞄とラップトップを放り投げる。
ゴトッと床で鈍い音を立てたそれは、大事なものではないのかと心配になった。
「ま、マキくん……それ……」
「ハナ、具合が悪いのか? どうしてすぐに連絡しなかったんだっ!?」
「仕事中……だし、デート……」
「あれは、チワワだっ!」
「チワワ……?」
「あ、いや、一緒にいたのは、椿だ」
(なんだ……妹さん……)
ほっとした途端に膝から力が抜け、ずるずると床に座り込む。
「ハナっ!」
マキくんは慌ててわたしを抱き上げ、ベッドへ運び、手際よく服を脱がせて自分のTシャツを着せると一旦部屋を出て行った。
しばらくして戻って来たその手には、タオルがある。
額に載せられた濡れタオルには保冷剤が巻かれているのか、ひんやりして気持ちいい。
口の中に体温計を突っ込まれ、測ったところ三十八度ある。
身体は辛い。
でも、心細さはすっかりなくなっていた。
「熱以外に症状は?」
「咳も、鼻水もないし、寝てれば治るよ。大丈夫」
「大丈夫かどうかは、医者が判断することだ」
「でも、いつも寝てれば治った」
「とにかく、医者に診てもらうべきだ」
そう言ったマキくんは、誰かに電話を架けながら部屋を出て行った。