捨てられたはずが、赤ちゃんごと極上御曹司の愛妻になりました
「お嬢さんは花言葉を知っているかい?」
「いいえ。お恥ずかしながら、私は料理の勉強ばかりでほかはからっきしなんです」
「料理か。いいんじゃないかな。料理がうまいと人生明るく生きていける」

 私と似た考え方を持つ老人に、つい顔が綻んだ。

「はい。落ち込んだりつらいことがあっても、美味しいものってひとときでも人を笑顔にさせてあげられると思って」
「ほう。お嬢さんはそういう方法で誰かを支えてあげるんだな。幸せな家族の絵が見える」
「本当ですか……?」

 自分のこれからの人生が幸せであってくれるのかと、偶然居合わせただけの人の言葉に思わず縋ってしまった。

 私からは焦りや不安がにじみ出ていたんだろう。老人は目元の皺を伸ばして驚いた顔をしている。

「うん? 変なことでも言ったかな」
「いえ……。そうなれたらうれしいです」

 控えめに答えて黙って金木犀を瞳に映す。
 なんだかひとり気まずくなって、そろそろ仕事場に戻ろうかとしたときだった。

「さっきの話の続きだがね。金木犀にはいろいろと意味があるらしいが、隠世(かくりよ)という言葉もあるらしくてね。金木犀の強い香りは死後の世界と繋がっている、と」
「死後の……」
「ああ、怖がらせたかい? だけどね。わたしは死後の世界と通じていると思うと、亡き妻も今時期は黄泉で同じようにこの香りを楽しんでいるのかと想像して頬が緩むんだよ」

 そうか。この人が金木犀を柔和な面持ちで眺めていたのは、大切な人と繋がりを感じていたから……。

 老人の優しい横顔を見て、私はなんだか羨ましくなった。

「さて。そろそろ戻ろうか」
「あ、はい」

 私は少し見送ってから戻ろうと動かずにいたら、精悍な目つきでじっと見据えられる。
 どぎまぎしていたら、老人の表情がふっと笑顔に変わった。

「謙虚。それでいてどこか気高い……お嬢さんも金木犀がよく似合う。まあ、私の妻には負けるがね」
「えっ」
「それじゃあ、また」

 そう言って、金木犀に背を向けてしっかりした足取りで去っていく。
 私は茫然と老人の後ろ姿を見送った。
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