捨てられたはずが、赤ちゃんごと極上御曹司の愛妻になりました
「あ、あの、すみませんでした。ありがとうございます」

 とてつもなく恥ずかしい場面を目撃された。今になって、顔から火が出るほど恥ずかしい。

 私は頭を下げたあと、なかなか姿勢を戻せずにいた。すると、上から柔らかな声音が落ちてくる。

「いや。役に立ったのならよかった」

 その声にいざなわれ、自然と彼を見上げた。

「えーと、その……」

 正面から向き合い、改めて美形な容姿を目の当たりにして急に緊張してきたただでさえ職業柄かかわるのは女性がほとんどだし。

「さっきの男、知り合いみたいだったけど大丈夫?」
「あっ、ああ、まあ大丈夫です……たぶん」

 指摘されて気づく。

 今日はどうにかなっても、光汰とは同級生だから上京した共通の知り合いは多いし、私の自宅も職場も当時付き合っていたときと変わらない。
 今回みたいに着信拒否をしたって接触しようと思えばできる。

 不安が大きくなる。だけど、いくらなんでも学生時代から知る間柄だし、度を超えた行動はそうそうできないよね。

 私が歯切れ悪い返しをしたからか、男性は少し心配そうな面持ちで言った。

「きみの職場は、このビル? だったら、さっきの男も知っているんだろうし、いろいろ不安なんじゃ」
「さっきの相手は元々、私がそこの料理教室で働いていることも知っているので……」
「働いていることも、となると、もしや家も?」

 鋭い指摘に、私はまた返答に困る。

「あー……はい。でもたぶん、今日はあのまま帰ったと思いますし。平気ですよ」

 本心じゃなくても、口ではそうやって言っていないと恐怖心に飲み込まれそうになる。
 私は無理やり笑顔を作って、男性にもう一度お辞儀した。

「お気遣いありがとうございます。それじゃ……」
「送るよ」

 去り際にひとこと投げかけられ、思わず目を丸くする。

「はっ?」
「乗りかかった舟だ。さっき助けても、このあとなにかあったら意味がない」

 終始スマートに対応してくれる男性に、一瞬ドキッとする。しかし、すぐに冷静になって遠慮しようとした。

「いえ、でも」
「ああ、そうか。たまたま出会った男の車に乗るのは警戒して当然だ。じゃあタクシー捕まえよう」

 男性は私の言葉を遮ってテキパキと話を進め、大通りへ足を向けた。
 私は戸惑いつつも、無視するわけにもいかず彼についていく。

 すると、男性は道路を前にピタッと足を止めた。私を振り返り、落ち着いた声で言う。

「きみが本当に平気だ、それはありがた迷惑だ、というなら遠慮するよ。でも変に遠慮してきみが後悔する結果になるのだけは避けたいと思ってる」

 見知らぬ人なのに、頼ってもいいかなっていう気持ちがほんの少し芽生える。

 それはとても不思議な感覚だった。これまでかかわった男の人には、こんなふうに頼りがいを感じるってなかった気がする。

「どうする?」
「えっ。あ……じゃあ……お世話に、なります」

 ぼーっとしていたところに尋ねられ、思わず厚意を受け取った。彼は薄い唇に弧を描く。

「うん。あ、ちょうど来た」

 右手を上げてタクシーを止め、後部座席のドアが開くと私を先に通してくれる。私はおずおずと車内に乗りこみ、運転席の後ろに小さくなって座る。

 彼が隣に乗ったあと、ドライバーに行き先を告げてタクシーは走り出した。
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