捨てられたはずが、赤ちゃんごと極上御曹司の愛妻になりました
「あ……なら、よかったです」

 そのあとも、しばしの間、彼の美しい双眸は私に向けられていた。

 嫌な心地はしない。
 ただ彼を想うあまりに激しくなった鼓動を知られてしまいそうで、そわそわする。

「わっ私、栄養士の資格も取りましたから、それを活かす方向もあって悩んだんです。だけど、結局今の職場を選びました」
「うん」

 佐渡谷さんが、穏やかに相槌を打つ。

「今の仕事、とっても楽しいんです。私には一緒に作って共有し合える講師が合ってるって思ってます。あのとき今の道を選択して間違いなかった」

 勢い余って話し始めたものだった。しかし、柔和な眼差しを向けてくれるから、自然と自分のこれまでの思いを説明していた。

「ん、なんとなくわかるよ。それに幸せな気持ちを共有してうれしいのは、きっときみだけじゃなく、きみの周りも同じだろうね」
「そんなこと……初めて言われました」

 私はいつも自分が満たされているかどうかくらいしか意識してなかったと思う。

 自分が喜びを感じるときに、誰かも同じような気持ちでいてくれるなんて考えもしなかった。

 もし、彼の言う通り、私と波長があって、この感情を共感してくれるならそんなうれしいことってないな。
 とはいえ、佐渡谷さんが私に気遣って褒めてくれてるだけかもしれないし、単純に鵜呑みするのはやめておこうか……。

 浮つく気持ちを冷静にコントロールしようと、口元が緩むのをきゅっと引き締める。

 そろり、と佐渡谷さんに目を向けたら、最高に温かで美味しく、ほっとする料理をひとくち頬張ったあとのような、満ち満ちた瞳だった。

 至極純粋な幸福感を滲ませる彼が言う。

「本心だよ。つくづく実感してる」

 甘美な刺激を受けた心臓が早鐘を打つ。

 こんなの、ただの会話のひとつに過ぎない。
 頭ではそう言い聞かせても、胸が甘い予感で膨らんでいく。

 だって……明確な言葉はなくても、彼の綺麗な瞳や知的な眉、魅惑的な唇、一瞬で人を惹きつける耳心地のよい低い声……すべてが私に愛を囁いた錯覚が今なお残る。

 それから、私たちは遅めの食事を始めた。

 佐渡谷さんはすぐに普通に戻っていたけれど、私は彼と言葉を交わすたび、視線を通わせるたびにドキドキした。

 彼は私の作った料理をどれも『美味しい』と言って、残さず綺麗に食べてくれた。
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