捨てられたはずが、赤ちゃんごと極上御曹司の愛妻になりました
「お渡ししたいものがあって、今オフィスの前に……。ええ。わかりました。お待ちしています」

 左右田さんは左手に包みを抱え、ビルを仰ぎ見てそう言うと、通話を切った。

 深みのある艶を放つ山葡萄のかごバッグにスマホを戻し、おもむろにこちらのほうへ向かってきた。

 私は慌てて垣根の死角に身を潜めた。
 それから二、三分。私は俯き首を竦め、肩にかけたバッグをぎゅうっと握りしめて静かに待った。

「静香さん」

 背中の向こう側から聞こえた声に、肩を上げた。そろりと頭を回し、生垣の葉の隙間から奥へ目をやるも、当然顔までは確認できない。

「拓馬さん! お疲れ様です!」

 すると、左右田さんの鈴を転がすような声がして、疑心は確信に変わる。

 左右田さんは拓馬さんといったいどういう関係なの?

 心臓が嫌な音を立てる。私は必死に息を潜め、耳をそばだてる。

「今日はどうして……?」
「あの、拓馬さんが毎日とてもお忙しそうだと父から聞いたので差し入れでも……と思いまして」

 ふたりの姿は見えなくても、どんな状況か目に浮かぶ。

 さっき左右田さんが大事そうに抱えていた包み。あれが拓馬さんへの差し入れだ。
 彼女は今、いじらしい表情を浮かべてそれを拓馬さんに差し出しているのだろう。

「最近お料理の勉強を始めたんです。お口に合えばいいのですが」

 拓馬さんのために、うちの料理教室に……?

 ひとことでは到底説明のできない複雑な気持ちになる。寒いわけでもないのに全身が震え、ただ必死に自分の手を強く握って得体の知れないなにかを堪えていた。

「あっ。でもきっと、これまで拓馬さんは手作りのものをもらったりした経験がおありですよね? 比べられたら恥ずかしいな……」

 少し浮き立った様子の左右田さんの弾む声が、私をさらに追い込む。

 もしかして……佐野さんが言っていた婚約者になる予定の人って……。
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