ゆめゆあ~大嫌いな私の世界戦争~
 17
 
 丁度、一年くらい前。
 七月。
 例年通りの蒸し暑さでアスファルトが燃えていた。
 私はひきこもりだった。
 体育倉庫に閉じこめられたあの日から、学校に行けなくなった。
「もう無理だ」
 って、心がSOSを出した。
 学校に行こうとすると発作が起きた。
 目眩や動悸。
 嘔気を抑えられなくて玄関で吐いたこともある。
 自分では何が起きているのか理解できなかった。
 お母さんは無理に学校には行かせなかった。
 不登校の私は、特にやることもなく、家に居る時間が多かった。
 テレビを見たり、インターネットをしたり、暇を持てあましていた。
 たまに外に出るときは、大抵、朝か夜。
 人気のない時間。
 不老川や王川商店街を散歩した。
 昼間は恐くて近づけないけれど、誰も居ない夜や朝だったら、気にせずにいられた。
 傘を持ち歩いて、河川敷の雑草や、道路の電柱を切りつけた。
 ヒーローになりたかった。
 だけど私にはなれない。
 助けて欲しいのは私。
 ヒーローに来て欲しかったのは私だった。
 散歩をしても願望はなくならなかった。
 人生も変わらない。
 もがいていた。
 ある日、映画の考察ブログを作った。
 主にヒーロー映画を対象とする感想、考察ブログである。
 時間だけはあった。
 映画を見る時間も、文章を書く時間も、延々とあった。
 ブログの名前は、”ゆめゆあ”。
 アクセス数は伸びず、コメントもほとんどなかったけれど、好きなことを書くのは楽しかった。
 2WILL:【ところで、このブログ、何で、ゆめゆあ、って名前なんですか】
 みゃ:【本名のアナグラムです(笑)。字余りなんですけどね】
 あめみやゆゆ、のアナグラムで”ゆめゆあ”。
 余った、み、と、やをハンドルネームにした。
 今思えば、何とも言えずダサイセンスだけど、当時は気に入っていた。
 シーガル:【面白い考察ですね! キックアス今度観てみようと思います】
 たまに貰えるコメントが嬉しかった。
 ひきこもりの私唯一の自己表現。
 そしてコミュニケーション。
 それがゆめゆあだった。
 ブログにのめり込むのに時間はかからなかった。
 次第に、個人的な日記も書くようになった。
 YOU:【もしかしてS市住まいですか? 私もS市の中学生ですよ! 奇遇ですね!】
 みゃ:【あら……(笑) 地元の人だったらやっぱりわかりました? 一応、隠してたんですけど】
 YOU:【あー、やっぱりそうなんですね! もしかしてO中ですか?】
 みゃ:【それは……、さすがに答えられないです(笑)】
 ブログには色んなことを書いた。
 虐めのことや不登校のこと。
 みんなへの恨みや人生への不満。
 世の中は不公平だ。
 平等じゃない。 
 たまにコメントをくれる常連さんと会話するのが楽しかった。
 自然と心を開いていった。
 警戒心はあまりなかった。
 YOU:【虐め……、辛いですよね。気持ちわかります。私も同じことで悩んでて……、よかったら友達になりませんか? LINE交換しましょ?? サブ垢でもいいので】
 みゃ:【是非お願いします!】
 不登校になってから人との交流がない私は飢えていた。
 誰かと話したい。
 関わりたい。
 そんな気持ちが強かった。
 私はYOUさんとLINE交換をした。
 サブ垢なんて持ってない。
 LINEの名前は”雨宮ゆゆ”。
 YOUさんの名前は、”ゆー”。
 それから時々LINEで会話をした。
【ゆゆちゃん! 今日から夏休みだよ!】
【そっか! おめでとう。私はずっと夏休みだからなぁ】
【羨ましー】
【そんなことないよ! ひきこもり。暇だ!】
【えー、自由そうでいいのに。朝とか楽でしょ】
【まあ、起きなくてもいいのは楽かも(笑)。でも、つまんないよ。ひきこもりは。何もやることないし】
【もう学校は行かないの?】
【行けたら行きたいけど……、王川中には行けない】
【転校?】
【んー、でもそれはお母さんに迷惑かかるからなぁ】
 ゆーさんとのLINEは楽しかった。
 私唯一の会話相手。
 友達。
 そう呼べる相手は人生初だった。
【じゃあどうするの? 進路は? 進学? 就職するの? これからどうするの?】
【わかんない】
 学校の先生とは話していない。
 お母さんともあまり会いたくない。
 進路は未定。
【じゃあやっぱり学校に行くのがいいんじゃない? 就職にしても進学にしてもさぁ……、一人じゃ出来ないわけだし】
【そうだけど……、学校はもう行きたくない】
【やっぱり虐めのせい?】
 それ以外何があるの?
 それしかないよ。
 学校には嫌な思い出しかない。
 今さら行けない。
 PTSDも酷い。
【ちょっと待ってて】
【え? どういうこと?】
 聞き返したが返事はなかった。
 だけど数分後。
 すぐに意味はわかった。
――雨宮さーーーーーん!
「……!?」
 家の外から大きな声がする。
 それも複数。
 何人もの声だ。
 LINEが来る。
【ごめん。ゆゆちゃん。隠してて】
【どういうこと?】
 混乱した。
 意味がわからなかった。
「ごめん! ゆゆちゃん! 私なの! YOUは私!」
 窓から外を覗いた。
 叫んでいたのは芥川結愛だった。
「私はシーガルって名前でコメントしてた!」
「私は2WILLって名前!」
 平沼綾花と鳥海恵里菜。
 三人で大きな声をだしている。
 すぐに窓を閉じた。
 やっぱり意味がわからない。
 何?
 これは何?
【ごめん。出てきて。直接話したいの】
【はぁ? 何で?】
【謝りたいの。ゆゆちゃんに。今までのこと】
【はぁ?】
【平沼さんと鳥海さんも同じ気持ちなの】
 理解が追いつかない。
 画面を閉じた。
 スマホの電源を切った。
「ゆゆちゃんだって薄々気づいてたでしょ!」
 外から大きな声がする。
 近所迷惑だ。
 恥ずかしい。
 やめてほしい。
「何を……、だよ」
 窓を背にして呟いた。
 声は届かない。
 お母さんが居なくて幸いだった。
 もう仕事中。
「私たち謝りたくて! でも普通に話しても聞いてくれないと思って、それであのブログを見つけて……」
 もしかしたら王川中の人なのかも知れないとは思っていた。
 ブログには個人情報は伏せていたのに私が王川中だって推測されていたし、勘が良すぎるとは思った。
 だから訊かなかった。
 YOUさんがどこ中なのか。
 年齢も。
 本名も。
 訊いたらこの関係も崩れてしまう気がしていたから。
「ゆゆちゃん! ごめん! 私たち反省したの! ここに居る人だけじゃないよ! みんな! みんなそうなの!」
「そうだよ! 雨宮さん! 謝りたい!」
「出てきて雨宮さん!」
 そんなわけない。
 反省?
 するわけない。
 嘘。
 全部嘘。
 あいつらが私に頭を下げるわけない。
 何か裏がある。
 企んでる。
「出ていくわけないだろ」
 しばらく声が響いていた。
 けれど私は窓を開けなかった。
 スマホもオフ。
 凄く嫌な気持ちになった。
 不登校になってまで私を弄ぼうとする芥川たちが許せなかった。
 ゆめゆあもその日のうちに閉鎖した。
 辛い日々の中、数少ない楽しみだったブログ、そしてLINE友達、全てが一瞬にして嫌な思い出に変わった。
 なんだよ。
 ふざけんなよ。
 もう私のことは放っておいてよ。
 一人にして。
 解放して。
「雨宮さーん! 出てきてー!」
 次の日も芥川たちは来た。
 今度は他の生徒も連れてだ。
「雨宮さん! 俺たちも謝らせてくれよ! 傷つけてごめん!」
 大して話したこともない男子生徒が何人も来ていた。
 男の子の大きな声。
 近所に響く。
「だから近所迷惑だからやめろって……」
「雨宮さーん!!」
「うるさいなぁ」
 私は耳を塞いで布団にこもった。
 ああ、もういやだ。
 いやだ。
 私にはどこにも逃げ場がない。
「「「雨宮さーん」」」
 翌日も。
「「「雨宮さーん!!」」」
 その翌日も。
「「「雨宮さーーーん!!!」」」
 またその翌日も。
 毎日。
 芥川は来た。
 新しい人を連れて。
 代わる代わる来ては、私に謝っていく。
 いい加減うるさかった。
 何か企みがあるのはわかっているが、出ていかない限り終わらない。
 だから出ていくことにした。
 私はバカなんだ。
 そこまでわかっていたのに出ていってしまった。
 それがいけなかった。
 ドアを開けた。
「雨宮さん!」
「あ……、な、なに?」
 人と顔を合わせたのは久しぶりだった。
 体が震える。
「わー、やっと出てきてくれた! ゆゆちゃん。私たち、謝りたいの。ゆゆちゃんに酷いことしてきて、たくさん傷つけたことを」
「ほんとにごめんなさい」
「ごめんな、雨宮さん」
 玄関先。
 みんなが私に頭を下げる。
 そんなこと初めてでどう反応していいかわからない。
「俺たち反省したんだ!」
「そう! 私たち、ゆゆちゃんが不登校になってから気づいたの。いけないことだったって」
「あ……、そ、そう……、なんだ」
「うん! 突然のことで信じて貰えないかも知れないけど、そうなの」
「そ、……そうなんだ」
「そうだよ! ありがとう。信じてくれて。私たち友達だもんね! 嘘つくわけないもんね」
「う、うん」
「ありがとう。それでね、ゆゆちゃんに謝って、許して貰って、それでまた一緒に学校に通うって、決めたの」
 芥川結愛。
 それに他のみんなも。
 何度も何度も頭を下げる。
 何だ?
 何これ?
「ね? ゆゆちゃん。よかったらグループLINE入らない? クラスのみんなでやってるの」
「あ……、別に……、どっちでも」
「じゃあ後でLINEしとくね!」
 意味がわからなかった。 
 だけど悪い気はしなかった。
「これから一緒にたくさん遊ぼうね!」
「う、うん……」
「私たち友達だよ!」
 思えばあの時に、もっと強く拒絶できていたら違ったのかも知れない。
 だけど出来なかった。
 急な心変わりの違和感。
 あいつらは極悪なのに。
 だけど私はどこまでも単純だった。
 優しくされたら嬉しくなってしまう。
 一緒に遊ぼうって言われたら楽しみにしてしまう。
 ずっとひとりぼっちだったから。
 信じたかった。
【明日、みんなでプール行くんだけどゆゆちゃんも行く?】
【え? でも水着、持ってない……】
【スク水でいいじゃん】
 夏休み。
 クラスのグループLINEに色んな写真が載せられる。
 友達と初めてプールに行った。
 青春っぽい夏休み。
【今日はみんなでキャンプでーす】
 入間川のキャンプ場。
 みんなでキャンプをした。
 芥川さんや平沼さんたちクラスのみんな。
 男子もいた。
【みんなで宿題やってます!】
 夏休みが終わりに近づくと、芥川さんの家に集まって宿題を一緒にやった。
 私はしばらく学校に行ってなかったから全然、解けなくて、みんなが教えてくれた。
「分数の計算ってどう……、あ、やる、んだっけ」
「通分!」
「ゆゆちゃんっておバカ?」
 そんな感じで夏休みが過ぎていった。
 そして二学期。
 九月一日。
 私はもうみんなを疑うことをしなくなっていた。
 クラスの一員。
 夏休みはたくさん遊んだ。
 楽しい思い出。
 私を虐めるような人は誰も居なかった。
 ああ、ほんとに変わったんだ。
 虐めは終わったんだ。
【学校で待ってるよ!】
【頑張れ―!】
【もう仲間だ!】
 グループLINEに元気づける言葉が並ぶ。
 朝。
 九ヶ月ぶりに制服を着た。
【みんなで助けるから頑張って学校に来て】
 みんなが応援してくれている。
 学校は相変わらず恐い。だけれどいつまでも不登校でいるわけにもいかないし、いつかは一歩踏み出さなければいけない。
 それはここだと思った。
 震えながら学校へ行った。
 みんなの視線が恐かった。
 下を向いて歩いた。
【ゆゆちゃん頑張って】
 冷や汗をかきながら校門をくぐった。
 下駄箱で上履きに履き替える。
【緊張で吐きそうだよぉ……】
 結愛ちゃんにLINEを送った。
 みんなと友達になったけれど、やっぱり一番は結愛ちゃんだ。
 信頼していた。
【でも頑張ったじゃんか。偉いじゃんか】
【真似するな!】
 結愛ちゃんは私の口癖をよく真似していた。 
 階段を登って二階へ行った。
 もう大丈夫。
 これから再スタート。私の人生は今日から変わるんだ。
 意気揚々と教室のドアを開けた。
 その時だった。
――バシャァアアアアアアアアアァァン
「え?」
 頭上から液体が降ってきた。
 生温くて粘っこい。
 全身が濡れる。
 メガネが片方耳から外れる。
 視界が歪む。
 一瞬何が起きたのかわからなかった。
 思考停止。
――カラララララァァァァンン。
 金属音が響く。
 銀色のバケツが床に転がる。
 その近くには突っ張り棒。
「何……これ」
 濡れた体。
 手を見ると真っ赤だった。
 シンナーの匂い。
「ペンキ……?」
 赤いペンキだった。
 頭から足先まで赤一色。
 ブラウスが赤で滲む。 
 メガネを掛け直す余裕もない。
 パニック。
「……?」
 教室。
 席の方へ目をやる。
――アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハアハハハハハハハハ。
 みんな居た。
 後ろの方に集まって笑っている。
 みんな私を見ている。
「え? あ……」
 一歩踏み出そうとしたらバランスを崩した。
 床はペンキで水たまり。
 足をすべらして転んだ。
「あ……、ぐ!」
 前のめりに倒れる。
 肘や肩を打った。
「あ……、あぐ!」
 痛い。
 衝撃でメガネが外れた。
 何も見えない。
 世界は靄だらけ。
「あ……、あ……メガネ」
 手探りでメガネを探す。 
 床はペンキだらけ。
 触れると気持ち悪い。
――バキィィィィィィィィンンン!
「……?」
 何かを踏みつぶした音がした。
 近くに人の気配。
 でも見えない。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハ」
 笑い声がする。
 みんな笑ってる。
「ほんと……、バカよね。雨宮さんは」
 よく知ってる声。
 芥川結愛。
「ノコノコと学校に来ちゃって……、あははは」
「……え?」
 困惑。
 色んなことが起こりすぎて思考なんて全然追いつかない。
「えー何? もしかしてまだ状況を飲み込めてない感じ?」
――アハハハハハハハアハハハハハ。
 声がうるさい。
 体が痛い。
 さっき転んだ時にぶつけた。
 肘が痛い。肩が痛い。
 ぶつけてないところも痛い。
 頭が痛い。胸が痛い。
 どこもかしこも痛い。
「じゃあ教えてあげる! 全部、嘘でしたー!」
 声が遠くなる。
 耳鳴りがする。
 血液の音。心臓の音がどんどん大きくなる。
「これはゲームだったの! 雨宮さんを学校に連れてくるゲーム!」
 手探りでメガネを見つけた。
 すぐに耳にかける。
 でもフレームが折れていてずてしまう。
 レンズにはヒビ。
「あははは! 夏休みの思い出にね、みんなで企画したの! ゲームは大成功! まんまと騙されてくれてありがとう!」
 芥川結愛は笑っていた。
 凄く楽しそうな顔で笑っていた。
 ああ、そうか。
 全部嘘。
 何もかも嘘だったんだ。
 この夏の思い出はみんな嘘。私に友達が出来たのも嘘。みんなと遊んだのも嘘。
 楽しかったのは、夢を見ていたから?
「二度と学校来んな!」
――ドンッ!
「あ……ぐ!」
 芥川は私を蹴った。
 私を上から踏みつける。
 何度も何度も踏みつける。
 私は体を起こしていられなくて地べたに這いつくばる。床はペンキの海。臭くてベタベタして気持ち悪い。
「キモいんだよ! 死ね! 死ね!」
――ワァアアアアアアアアアアァァァァ
 歓声がする。
 みんなの声。
 痛い。
 痛いよ。
 もうやめて。
 もういやだ。
 私が悪かった。希望を夢見てしまった私が悪かったんだ。こんなにも気持ち悪くてダサイのに、普通の幸せを望んでしまった私が悪いんだ。だからもう許して。お願い。もう二度と学校には来ないから。
「あんたなんか死んじゃえばいいのに」
 芥川が言った。
 世界が終わった気がした。
 頭が真っ白になった。
 それからのことはよく覚えている。
 映画を見るように思いだせる。
 自分のことなのに、別の人のようだった。
 解離。
 自分を守るために心が遠くに行ってしまう感覚。
 芥川やみんなに罵声を浴びせられながら私は立ち上がり、教室を後にした。
 何人かの生徒。先生たちとすれ違った。声は聞こえない。表情はわからない。
 私は下を向いていた。
 制服は真っ赤。髪も顔も赤いペンキで汚れている。
 校門を出て河川敷を歩いた。
 その後は住宅街。
 何人かの人とすれ違った。声は聞こえない。世界は無音。
 全身、赤いペンキで汚れた私を助けようとする人は誰もいない。
 すぐに家に着いた。
 玄関の前で制服を脱いだ。
 家には誰も居ない。
 冬用の灯油を持ち出す。
 脱ぎ捨てた制服に灯油をかけた。すぐに染みて気化する匂いが広がる。
 ライターで火をつけた。
 燃え広がる。
 火柱が立った。
「わあ、綺麗」
 この日々を消したかった。ゆめゆあで芥川たちと出会った時から、今日までの全てをなかったことにしたかった。
 火の勢いはどんどん強くなった。
 灰になっていく制服を見ながら私は決意した。
「復讐してやる」

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