ゆめゆあ～大嫌いな私の世界戦争～
桜ヶ丘女学園
３
二週間後。
湿り気を感じる空気に雨の予感がする。
私立桜ヶ丘女学園中等部。
丘陵にある中高一貫教育の女子中学校。
百合ちゃんが通っている学校だ。
「メル……、遅いなぁ」
屋上。
能力を使って忍び込んだ私は、メルから連絡が来るのを待っている。
「いるかなぁ、百合ちゃん」
屋上から校庭を覗いてみる。
疎らな人影。女の子の声がよく響いてくる。
「だめだな。よくわからないや」
四階建ての屋上。
さすがによく見えなかった。
【今、バスに乗ってる】
メルからLINEで連絡が来た。
桜ヶ丘中に来るには、駅から出ている”桜ヶ丘公園行き”のバスが便利。
桜ヶ丘公園は春になると桜が満開になり、花見のスポットとしてこの辺りじゃ有名な公園だ。
園内には他にも人工池や植物園、テニスコートなんかがあったりして、憩いの場所になっている。
公園の隣には一級河川の入間川が流れ、レジャーにも最適だ。
桜ヶ丘公園のすぐ隣。
桜ヶ丘女学園は、そんなところにある。
あれから二週間。
私たちは超能力の練習をした。
メルは透視、盗聴の力を制御出来るようになった。
百合ちゃんは意図して人を洗脳出来るようにになった。
私は念力の操作をより細かく出来るようになった。
強力な力。
三人の力を合わせたら憎い相手に復讐することなんて容易いことなのかもしれない。
今だったら、出来る気がした。
憧れのヒーローみたいに苦しんでいる少女を助けることが。
【公園に着いた】
【わかった】
メルに返事をした。
私は空を飛んで公園の方へ行った。
「おーい」
メルを見つけた。
軽く挨拶をした。
メルを担いで再び空を飛び、桜ヶ丘中の屋上へ行った。
「じゃあ、百合ちゃんを探そう」
「おう」
メルは屋上から校庭や校舎を覗き込んだ。
メルの力は、透視、盗聴に加え、望遠鏡のような機能まである千里眼の力だ。
人捜しにはもってこいだ。
「しかしいいのかなぁ。こんなことして。百合葉に内緒でさ」
「いいじゃんか。悪いことじゃないんだから」
エンジェルトランペットは復讐クラブだ。
虐められてきた恨みを晴らすため、弱者が結束した。
でも、結成から今まで、何一つ行動を起こせなかった。
メルは色んなアイディアを出した。学校を爆破するとかバスジャックするとか、過激で荒唐無稽な内容だ。
百合ちゃんは、真逆のことを言った。
「復讐なんてしなくていい。みんなで楽しく過ごせたらそれでいいじゃないですか」
私はどちらの言葉にも応えられなかった。
私は弱腰。
でも心は強気になりたい気持ちでいっぱい。
どちらにもなれない曖昧な私。
でも、やっと重い腰を上げられたんだ。
今日は百合ちゃんのことを虐めている奴らを懲らしめようと思ってここに来た。
一歩踏み出せたんだ。
それが出来たのはきっと超能力のおかげ。この力を手に入れてから、世界が違って見える。
今だったら何だって出来る気がする。
今日は結成以来初めての復讐活動。
メルは二つ返事だった。
百合ちゃんは誘っていない。
言ったら、
「そんなのしなくていいです。やめてください」
なんてきっと言うのだ。
復讐クラブなのに平和主義。
百合ちゃんの気持ちが私にはわからない。
自分だって虐められて苦しんでいるはずなのに。
だから私が助けてあげる。
今ならなれる気がするから。
こんな時に手を差し伸べられるヒーローに。
「あ、いた。百合葉だ」
「え、どこ？」
「ほらほら、校庭」
メルが指さす。
私は身を乗りだして覗き込む。
「あ、ああ、あの鉄棒のところの」
「そうそう」
ハッキリとは見えないが、しかし百合ちゃんの姿を確認できた。
ポニーテール。
色白。
少し鈍くさそうな動き。
「百合ちゃん……」
周囲には人がいない。
ひとりぼっち。
「あ……」
百合ちゃんの周りに数人のグループが近づいていった。
取り囲んで何かを話している。
「メル」
「あ、ああ、ちょっと……、口にするには憚られる内容だけど……」
メルの盗聴能力は半径数キロ程度の音を聞ける。
集中すれば任意の場所の音のみを聞くこともできる。
練習の成果だ。
「お前なんて死んじゃえ。学校に来るな」
「……！」
「キモいんだよ」
「お前なんか生きる価値なんかないんだからね」
「病原菌」
「消えろ」
メルの口から酷い言葉が並べられる。
「も、もういいよ」
聞くに堪えなかった。
まだ何やら話しているみたいだけど、それ以上は聞きたくなかった。
昔のことを思い出すから。
「はぁはぁ……、くそ……」
「……？」
「はぁはぁ……、はぁはぁ……」
「ゆゆ？ どうした？」
「え？ いや、何でもないよ」
百合ちゃんを取り囲んだグループの中で、長身で一際目立つのが茅ヶ崎ひかりだった。
――ドンッ。
と茅ヶ崎が百合ちゃんを突き飛ばした。
メルの通訳はない。
しかし悲鳴が聞こえた気がした。
「はぁはぁ……」
茅ヶ崎ひかりとそのグループに百合ちゃんが虐められているのは、知っていた。
前に百合ちゃんに聞いた。
「おいおい。百合葉、膝擦りむいた」
メルが虐めを実況する。
しかし頭に入ってこない。
「はぁはぁ……、はぁはぁ……」
百合ちゃんは膝をついてうずくまる。
「死ねばいいのに」
メルの通訳。
茅ヶ崎たちが側を離れていく。
「はぁはぁ……、あいつら……、くそ……」
「おい、大丈夫か？ どうした？」
呼吸が荒くなった私にメルは困惑している。
私は動揺してるんだ。
どうして。
なんで。
こんな風になっちゃうのかな。
「なんで……、私……、こんなダメなんだろ」
「ゆゆ？」
「見てるだけでさ……、こんなに息荒くなって。はは……、こんなんじゃヒーローになんかなれっこないじゃんか」
視界が歪む。
耳鳴りがする。
体が震えて、立ってるのが精一杯。
何も考えられない。
「なんだよ……、くそ。私……、変わったつもりだったのに、何も出来ないじゃんか」
下唇を噛みしめた。
こんなはずじゃなかったのに。
私はPTSDに悩んでいる。
三つの代表的症状。再体験。回避。過覚醒。
再体験はフラッシュバックとも呼び、トラウマの原因になった現場にタイムスリップしてしまうような状態になること。
回避は、トラウマに関連する事項を避けようとする行動のこと。
過覚醒は、また酷いことが起こるんじゃないかって不安になり、神経が過敏になること。
その三つが絡まり合うと、様々な問題が起こる。
パニック状態になることもある。
「くそ！ くそ！ くそ！」
百合ちゃんを見ているとそれがまるで自分のことのように思えた。
あそこにうずくまっているのが、自分のような気がしてならなかった。
茅ヶ崎ひかりは、私のことを虐めてきた芥川結愛に見えてきた。
「う、うわあああああ」
叫んだ。
体中の血液が沸騰している。
何を考えているのかよくわからない。
ただひとつ。
復讐心だけは確かにあった。
「わああああああ」
能力を発動した。
念力。
見えない手を振りまわした。
地面を叩いてコンクリートにヒビが入った。
「お、おい。ゆ、ゆゆ？」
「殺してやる！」
私は怒りに満ちていた。
見えない手を茅ヶ崎ひかりたちに向けて存分に伸ばした。
この手は三〇〇メートルくらいは伸ばせるのは実験済み。
「うああああああああ」
彼女たちをなぎ払うように吹き飛ばした。
無我夢中。
難しいことは全然、考えてない。
彼女たちが校舎前の植木に飛ばされる。
それから意識が飛んだ。
「ゆゆ！」
「……は」
「おい！ ゆゆ！」
メルの声で意識が戻った。
屋上。
少し、記憶が飛んだ感じがする。
「あ、あれ？ メル？ 私……」
私はコンクリートに寝そべっていた。
隣にはメル。
と、
「え？ 百合ちゃん？」
「ゆゆちゃん！ だ、大丈夫ですか？ どうしたんですか？」
何が何やらさっぱりだった。
二人の話しを聞いた。
どうやら私は力を使った後、気を失ってしまったらしい。
一時間も寝ていた。
茅ヶ崎たちが飛ばされたのを見て、百合ちゃんは私の存在を疑い、屋上に来た様子だった。
メルが能力を使って聞いた情報では、茅ヶ崎たちは、命に別状はなく、軽い打撲のような状態だが、念のため病院に行くらしい。
「あ、あぁ。ちょっと頭痛がするけど、大丈夫だよ」
「よかったですー。心配したんですから」
優しい声。
その声に私も安堵する。
「でも……、何であんな事したんですか！」
「それは、百合ちゃんを助けたかったからだよ」
平和主義の百合ちゃんが、暴力的な行為が嫌いなのは知っている。
だから今日も黙って来た。
反対されると思ったから。
「私がそんなこと頼みましたか？」
「頼んでないけど……、でも、百合ちゃんが苦しんでるのは事実じゃんか」
問い詰められる。
でも間違ったことをしたとは思わない。
「そもそもエンジェルトランペットは復讐クラブじゃんか。百合ちゃんの憎い相手に攻撃して何が悪いの？ これがこのクラブの存在理由じゃないの？」
「だからってあんなことしていい理由にはなりません。もしかしたら殺してしまってたかもしれないんですよ」
確かにその通り。
あの時、私はPTSDが色濃く出てパニック状態だった。
でも、
「そうなったらなったでいいよ。虐めをしてきた奴なんか死んだっていいじゃんか。私たちは散々、苦しんできたんだから。せっかく超能力だって手に入れたんだし別にそれくらいしたって――」
――パシンッ
百合ちゃんの平手打ちがほっぺたにジャストミートした。
ヒリヒリと痛い。
「ゆゆちゃん！ そんなのダメです。取り消してください。そして私に謝ってください」
「……、は、はぁ？ 何で――」
「命令です。謝りなさい」
――あ………。
百合ちゃんの瞳が鈍く光った。
黒目が瞬く間に血液のような鮮やかな赤い色に変わる。
「あ……、あぁ……、あぐ……」
百合ちゃんの能力は人を洗脳する力。
使用する時は相手の目を見て命令する。
その時に、百合ちゃんの黒目は赤くなる。
「あ、わ、わかったよ。ごめんなさい百合ちゃん。すいませんでした」
「その場で土下座してください」
「はいはい。ん……、これでいい？ ごめんなさい」
――パシャッ。
百合ちゃんはスマホで写真を撮った。
「はい。いいですよ。元に戻ってください」
と百合ちゃんが言うと、私は我に返った。
「あ……、ん？ あれ？ あれ？ 私、……何して……、百合ちゃんの目が赤くなって……、あ、ああそうだ！ 百合ちゃん、私に力を使ったでしょ！」
洗脳された側は力を解除された時、その間の記憶を失う。
これも検証済み。
百合ちゃんの能力はとても強力。
「そうですね。使いました」
百合ちゃんは真顔でそう言うと、私にスマホの画面を見せた。
私の写真。
土下座している写真。
「ゆ、百合ちゃん！ 何だよ。それ！」
「謝罪の証拠写真です。ゆゆちゃんはこういうの嫌がると思って撮らしてもらいました」
「何でそんなことするのさ！ 私が写真嫌いなの知ってるのに」
写真は嫌いだ。
自分の姿を見るのは嫌。チビだし、メガネだし、ブサイクだし。私が生きた証拠はどこにも残したくない。
「消して！」
「やです」
「消せ―」
「やだー」
「消せよー！」
「やーだーよー」
「このー！」
私は頭にきて能力を使ってスマホを奪おうとする。
しかし百合ちゃんが言った。
「ゆゆちゃん。復讐クラブなんて本当に必要ですか？」
「……？」
「復讐なんて、しなくていいんじゃないですか？ クラブを作って三ヶ月……、私たち何も出来なかったけど楽しかったですよ。秘密基地に集まってみんなでお喋りして……、ゆゆちゃんだって同じ気持ちだったんじゃないんですか？」
水分を吹くんだ風。
空が近い。
「復讐は、必要だよ」
私には虐めのトラウマがある。
それが原因のPTSDが人生の障害になっている。
治療が必要だ。
「だって許せないじゃんか。私たちを散々虐めてきた奴らがのうのうと生きてるなんてさ」
「でも、ゆゆちゃんはあんな人じゃなかった。無抵抗の相手を傷つけるような冷たい人じゃなかったはずです」
「それは力がなかったからだよ」
「だとしたらやっぱり超能力なんて要らなかった。こんな力を手に入れてしまったから、ゆゆちゃんはおかしくなってるんですよ」
「そんなことない。それに、私にはPTSDの治療が必要なんだ。復讐することは治療にだってなるんだから」
PTSDの治療には色んな方法がある。
けれどどの方法も本質は認知行動療法である。
自分の思考や行動を客観的に見つめ直し、思考回路を違ったものへ矯正する方法だ。
カウンセラーと話しながら行動をひとつひとつ並べていってもいいし、催眠術で過去に戻って映画のように観てもいい。
日記を書いたり、小説を書くことも効果的。文字に書き起こすことで俯瞰で見られるようになるし、それに対しての意見を書き加えていけば思考の矯正につながる。
「私のトラウマの原因は虐めなんだ。トラウマは立ち向かわなかったから永遠に消えないんだ。だから私は過去と戦うことにしたんだ。この戦いに勝てばきっと私の心だって晴れるから」
――ザアァァァ
雨。
雨が降り出した。
大粒の雨がコンクリートに照りつける。
湿っぽい突風。
――ザシャアアアア
雨足が強くなった。
瞬く間に季節外れの夕立。
時計を見たら一六時。
「お、おい。雨降ってきたしさ、今日はその辺で終わりにしようぜ」
ずっと黙っていたメルが口を開いた。
雨が打ち付ける。
もうびしょ濡れ。
「そうだねメル」
「百合葉も」
「はい……、そうですね」
雨が打ち付ける。
大好きな雨。
二週間後。
湿り気を感じる空気に雨の予感がする。
私立桜ヶ丘女学園中等部。
丘陵にある中高一貫教育の女子中学校。
百合ちゃんが通っている学校だ。
「メル……、遅いなぁ」
屋上。
能力を使って忍び込んだ私は、メルから連絡が来るのを待っている。
「いるかなぁ、百合ちゃん」
屋上から校庭を覗いてみる。
疎らな人影。女の子の声がよく響いてくる。
「だめだな。よくわからないや」
四階建ての屋上。
さすがによく見えなかった。
【今、バスに乗ってる】
メルからLINEで連絡が来た。
桜ヶ丘中に来るには、駅から出ている”桜ヶ丘公園行き”のバスが便利。
桜ヶ丘公園は春になると桜が満開になり、花見のスポットとしてこの辺りじゃ有名な公園だ。
園内には他にも人工池や植物園、テニスコートなんかがあったりして、憩いの場所になっている。
公園の隣には一級河川の入間川が流れ、レジャーにも最適だ。
桜ヶ丘公園のすぐ隣。
桜ヶ丘女学園は、そんなところにある。
あれから二週間。
私たちは超能力の練習をした。
メルは透視、盗聴の力を制御出来るようになった。
百合ちゃんは意図して人を洗脳出来るようにになった。
私は念力の操作をより細かく出来るようになった。
強力な力。
三人の力を合わせたら憎い相手に復讐することなんて容易いことなのかもしれない。
今だったら、出来る気がした。
憧れのヒーローみたいに苦しんでいる少女を助けることが。
【公園に着いた】
【わかった】
メルに返事をした。
私は空を飛んで公園の方へ行った。
「おーい」
メルを見つけた。
軽く挨拶をした。
メルを担いで再び空を飛び、桜ヶ丘中の屋上へ行った。
「じゃあ、百合ちゃんを探そう」
「おう」
メルは屋上から校庭や校舎を覗き込んだ。
メルの力は、透視、盗聴に加え、望遠鏡のような機能まである千里眼の力だ。
人捜しにはもってこいだ。
「しかしいいのかなぁ。こんなことして。百合葉に内緒でさ」
「いいじゃんか。悪いことじゃないんだから」
エンジェルトランペットは復讐クラブだ。
虐められてきた恨みを晴らすため、弱者が結束した。
でも、結成から今まで、何一つ行動を起こせなかった。
メルは色んなアイディアを出した。学校を爆破するとかバスジャックするとか、過激で荒唐無稽な内容だ。
百合ちゃんは、真逆のことを言った。
「復讐なんてしなくていい。みんなで楽しく過ごせたらそれでいいじゃないですか」
私はどちらの言葉にも応えられなかった。
私は弱腰。
でも心は強気になりたい気持ちでいっぱい。
どちらにもなれない曖昧な私。
でも、やっと重い腰を上げられたんだ。
今日は百合ちゃんのことを虐めている奴らを懲らしめようと思ってここに来た。
一歩踏み出せたんだ。
それが出来たのはきっと超能力のおかげ。この力を手に入れてから、世界が違って見える。
今だったら何だって出来る気がする。
今日は結成以来初めての復讐活動。
メルは二つ返事だった。
百合ちゃんは誘っていない。
言ったら、
「そんなのしなくていいです。やめてください」
なんてきっと言うのだ。
復讐クラブなのに平和主義。
百合ちゃんの気持ちが私にはわからない。
自分だって虐められて苦しんでいるはずなのに。
だから私が助けてあげる。
今ならなれる気がするから。
こんな時に手を差し伸べられるヒーローに。
「あ、いた。百合葉だ」
「え、どこ？」
「ほらほら、校庭」
メルが指さす。
私は身を乗りだして覗き込む。
「あ、ああ、あの鉄棒のところの」
「そうそう」
ハッキリとは見えないが、しかし百合ちゃんの姿を確認できた。
ポニーテール。
色白。
少し鈍くさそうな動き。
「百合ちゃん……」
周囲には人がいない。
ひとりぼっち。
「あ……」
百合ちゃんの周りに数人のグループが近づいていった。
取り囲んで何かを話している。
「メル」
「あ、ああ、ちょっと……、口にするには憚られる内容だけど……」
メルの盗聴能力は半径数キロ程度の音を聞ける。
集中すれば任意の場所の音のみを聞くこともできる。
練習の成果だ。
「お前なんて死んじゃえ。学校に来るな」
「……！」
「キモいんだよ」
「お前なんか生きる価値なんかないんだからね」
「病原菌」
「消えろ」
メルの口から酷い言葉が並べられる。
「も、もういいよ」
聞くに堪えなかった。
まだ何やら話しているみたいだけど、それ以上は聞きたくなかった。
昔のことを思い出すから。
「はぁはぁ……、くそ……」
「……？」
「はぁはぁ……、はぁはぁ……」
「ゆゆ？ どうした？」
「え？ いや、何でもないよ」
百合ちゃんを取り囲んだグループの中で、長身で一際目立つのが茅ヶ崎ひかりだった。
――ドンッ。
と茅ヶ崎が百合ちゃんを突き飛ばした。
メルの通訳はない。
しかし悲鳴が聞こえた気がした。
「はぁはぁ……」
茅ヶ崎ひかりとそのグループに百合ちゃんが虐められているのは、知っていた。
前に百合ちゃんに聞いた。
「おいおい。百合葉、膝擦りむいた」
メルが虐めを実況する。
しかし頭に入ってこない。
「はぁはぁ……、はぁはぁ……」
百合ちゃんは膝をついてうずくまる。
「死ねばいいのに」
メルの通訳。
茅ヶ崎たちが側を離れていく。
「はぁはぁ……、あいつら……、くそ……」
「おい、大丈夫か？ どうした？」
呼吸が荒くなった私にメルは困惑している。
私は動揺してるんだ。
どうして。
なんで。
こんな風になっちゃうのかな。
「なんで……、私……、こんなダメなんだろ」
「ゆゆ？」
「見てるだけでさ……、こんなに息荒くなって。はは……、こんなんじゃヒーローになんかなれっこないじゃんか」
視界が歪む。
耳鳴りがする。
体が震えて、立ってるのが精一杯。
何も考えられない。
「なんだよ……、くそ。私……、変わったつもりだったのに、何も出来ないじゃんか」
下唇を噛みしめた。
こんなはずじゃなかったのに。
私はPTSDに悩んでいる。
三つの代表的症状。再体験。回避。過覚醒。
再体験はフラッシュバックとも呼び、トラウマの原因になった現場にタイムスリップしてしまうような状態になること。
回避は、トラウマに関連する事項を避けようとする行動のこと。
過覚醒は、また酷いことが起こるんじゃないかって不安になり、神経が過敏になること。
その三つが絡まり合うと、様々な問題が起こる。
パニック状態になることもある。
「くそ！ くそ！ くそ！」
百合ちゃんを見ているとそれがまるで自分のことのように思えた。
あそこにうずくまっているのが、自分のような気がしてならなかった。
茅ヶ崎ひかりは、私のことを虐めてきた芥川結愛に見えてきた。
「う、うわあああああ」
叫んだ。
体中の血液が沸騰している。
何を考えているのかよくわからない。
ただひとつ。
復讐心だけは確かにあった。
「わああああああ」
能力を発動した。
念力。
見えない手を振りまわした。
地面を叩いてコンクリートにヒビが入った。
「お、おい。ゆ、ゆゆ？」
「殺してやる！」
私は怒りに満ちていた。
見えない手を茅ヶ崎ひかりたちに向けて存分に伸ばした。
この手は三〇〇メートルくらいは伸ばせるのは実験済み。
「うああああああああ」
彼女たちをなぎ払うように吹き飛ばした。
無我夢中。
難しいことは全然、考えてない。
彼女たちが校舎前の植木に飛ばされる。
それから意識が飛んだ。
「ゆゆ！」
「……は」
「おい！ ゆゆ！」
メルの声で意識が戻った。
屋上。
少し、記憶が飛んだ感じがする。
「あ、あれ？ メル？ 私……」
私はコンクリートに寝そべっていた。
隣にはメル。
と、
「え？ 百合ちゃん？」
「ゆゆちゃん！ だ、大丈夫ですか？ どうしたんですか？」
何が何やらさっぱりだった。
二人の話しを聞いた。
どうやら私は力を使った後、気を失ってしまったらしい。
一時間も寝ていた。
茅ヶ崎たちが飛ばされたのを見て、百合ちゃんは私の存在を疑い、屋上に来た様子だった。
メルが能力を使って聞いた情報では、茅ヶ崎たちは、命に別状はなく、軽い打撲のような状態だが、念のため病院に行くらしい。
「あ、あぁ。ちょっと頭痛がするけど、大丈夫だよ」
「よかったですー。心配したんですから」
優しい声。
その声に私も安堵する。
「でも……、何であんな事したんですか！」
「それは、百合ちゃんを助けたかったからだよ」
平和主義の百合ちゃんが、暴力的な行為が嫌いなのは知っている。
だから今日も黙って来た。
反対されると思ったから。
「私がそんなこと頼みましたか？」
「頼んでないけど……、でも、百合ちゃんが苦しんでるのは事実じゃんか」
問い詰められる。
でも間違ったことをしたとは思わない。
「そもそもエンジェルトランペットは復讐クラブじゃんか。百合ちゃんの憎い相手に攻撃して何が悪いの？ これがこのクラブの存在理由じゃないの？」
「だからってあんなことしていい理由にはなりません。もしかしたら殺してしまってたかもしれないんですよ」
確かにその通り。
あの時、私はPTSDが色濃く出てパニック状態だった。
でも、
「そうなったらなったでいいよ。虐めをしてきた奴なんか死んだっていいじゃんか。私たちは散々、苦しんできたんだから。せっかく超能力だって手に入れたんだし別にそれくらいしたって――」
――パシンッ
百合ちゃんの平手打ちがほっぺたにジャストミートした。
ヒリヒリと痛い。
「ゆゆちゃん！ そんなのダメです。取り消してください。そして私に謝ってください」
「……、は、はぁ？ 何で――」
「命令です。謝りなさい」
――あ………。
百合ちゃんの瞳が鈍く光った。
黒目が瞬く間に血液のような鮮やかな赤い色に変わる。
「あ……、あぁ……、あぐ……」
百合ちゃんの能力は人を洗脳する力。
使用する時は相手の目を見て命令する。
その時に、百合ちゃんの黒目は赤くなる。
「あ、わ、わかったよ。ごめんなさい百合ちゃん。すいませんでした」
「その場で土下座してください」
「はいはい。ん……、これでいい？ ごめんなさい」
――パシャッ。
百合ちゃんはスマホで写真を撮った。
「はい。いいですよ。元に戻ってください」
と百合ちゃんが言うと、私は我に返った。
「あ……、ん？ あれ？ あれ？ 私、……何して……、百合ちゃんの目が赤くなって……、あ、ああそうだ！ 百合ちゃん、私に力を使ったでしょ！」
洗脳された側は力を解除された時、その間の記憶を失う。
これも検証済み。
百合ちゃんの能力はとても強力。
「そうですね。使いました」
百合ちゃんは真顔でそう言うと、私にスマホの画面を見せた。
私の写真。
土下座している写真。
「ゆ、百合ちゃん！ 何だよ。それ！」
「謝罪の証拠写真です。ゆゆちゃんはこういうの嫌がると思って撮らしてもらいました」
「何でそんなことするのさ！ 私が写真嫌いなの知ってるのに」
写真は嫌いだ。
自分の姿を見るのは嫌。チビだし、メガネだし、ブサイクだし。私が生きた証拠はどこにも残したくない。
「消して！」
「やです」
「消せ―」
「やだー」
「消せよー！」
「やーだーよー」
「このー！」
私は頭にきて能力を使ってスマホを奪おうとする。
しかし百合ちゃんが言った。
「ゆゆちゃん。復讐クラブなんて本当に必要ですか？」
「……？」
「復讐なんて、しなくていいんじゃないですか？ クラブを作って三ヶ月……、私たち何も出来なかったけど楽しかったですよ。秘密基地に集まってみんなでお喋りして……、ゆゆちゃんだって同じ気持ちだったんじゃないんですか？」
水分を吹くんだ風。
空が近い。
「復讐は、必要だよ」
私には虐めのトラウマがある。
それが原因のPTSDが人生の障害になっている。
治療が必要だ。
「だって許せないじゃんか。私たちを散々虐めてきた奴らがのうのうと生きてるなんてさ」
「でも、ゆゆちゃんはあんな人じゃなかった。無抵抗の相手を傷つけるような冷たい人じゃなかったはずです」
「それは力がなかったからだよ」
「だとしたらやっぱり超能力なんて要らなかった。こんな力を手に入れてしまったから、ゆゆちゃんはおかしくなってるんですよ」
「そんなことない。それに、私にはPTSDの治療が必要なんだ。復讐することは治療にだってなるんだから」
PTSDの治療には色んな方法がある。
けれどどの方法も本質は認知行動療法である。
自分の思考や行動を客観的に見つめ直し、思考回路を違ったものへ矯正する方法だ。
カウンセラーと話しながら行動をひとつひとつ並べていってもいいし、催眠術で過去に戻って映画のように観てもいい。
日記を書いたり、小説を書くことも効果的。文字に書き起こすことで俯瞰で見られるようになるし、それに対しての意見を書き加えていけば思考の矯正につながる。
「私のトラウマの原因は虐めなんだ。トラウマは立ち向かわなかったから永遠に消えないんだ。だから私は過去と戦うことにしたんだ。この戦いに勝てばきっと私の心だって晴れるから」
――ザアァァァ
雨。
雨が降り出した。
大粒の雨がコンクリートに照りつける。
湿っぽい突風。
――ザシャアアアア
雨足が強くなった。
瞬く間に季節外れの夕立。
時計を見たら一六時。
「お、おい。雨降ってきたしさ、今日はその辺で終わりにしようぜ」
ずっと黙っていたメルが口を開いた。
雨が打ち付ける。
もうびしょ濡れ。
「そうだねメル」
「百合葉も」
「はい……、そうですね」
雨が打ち付ける。
大好きな雨。
