ゆめゆあ~大嫌いな私の世界戦争~
市立王川中学校
4
五月になった。
通りぬける風は新しい季節の香りがする。
市立王川中学校。
全校生徒は約三〇〇名。
隣には不老川。
住宅街や小畑を流れる小さな小川で、虫取りや水遊びをして子供たちが遊んでいる。
校舎からは不老川がよく見える。
生命の息吹を感じる風が吹き込んでくる。
学校に行ってた頃は教室の窓から不老川ばかりを見ていた。
家から徒歩一五分。
屋上。
八ヶ月ぶりくらいに学校に来た。
もちろん教室には行けない。
能力を使って屋上に来た。
授業はいつも通り行われているとメルが話すが、私はそれを遮った。
「はぁはぁ……」
今日ここに来たのは体育倉庫を燃やす為。
でも、まだ何もしていない。
していないのに胸が締めつけられるようだ。
お腹が熱い。
気持ちが悪い。
不安。
恐怖。
今すぐに逃げだしたい。
車の音や鳥の音にびくんと体が反応する。
「そこまでして……、やる必要あんのかな」
今日はメルと二人で来た。
体育倉庫を燃やすことに百合ちゃんが協力するとは思えない。
「なんだよ。学校を燃やしたらいいって最初に言ったのはメルなのに、やっぱりメルも弱腰なの?」
不登校になってから学校には近づかなかった。
近くに来るだけで調子が悪くなるから。
「そういうわけじゃないけどさ……、何か辛そうだから」
「大丈夫だよ」
PTSD。
過覚醒。
イライラして、物音に敏感になって、不安で落ちつかなくなる。
精神面の不調はダイレクトに体にも現れて、目眩や動悸、嘔気がする。それがピークになると、意識消失する。
学校の周囲に来るだけでそんな感じだった。
だから避けてきた。
トラウマと関連するものを避けようとするPTSDの行動習慣。
「復讐してやる」
とは思うけれど、学校が恐い。
軽く触れたら崩れ落ちてしまう。
脆弱な存在。
「これは戦いなんだ。私にとっての報復戦争なんだよ」
屋上から校舎の裏を見る。
職員の車。
黒のSUV。
見えない手を伸ばし、変形させて、鍵穴に射し込む。
――ブォーーーン
エンジンがかかった。
そのままハンドルを操作し運転する。
この車は大楠先生の物だ。
一年生、二年生の時、担任だった先生。
メルに事前に調べて貰った。
先生の車にはガソリンの入ったポリタンクを四本。さっき詰め込んだ。
アクセルを押し込んで、校庭の方へ走らせる。ゆっくりとカーブを曲がって、校庭へ出たら一気に加速させた。
三〇キロ。四〇キロ……、五〇キロ……。
スピードはどんどん早くなって、その度に私の心音も激しくなった。
「はぁはぁ……、い、行けー」
力がこもった。
体育倉庫へ向けて車は前進。
同時に、私の頭はまた前みたいに無我夢中になった。
何を考えているのかわからなくなる。
怒り。
不安。
恐怖。
それに期待感。
体がガタガタと震え、入り交じった感情で思考整理が追いつかなくなった。
気がつくと幻影が見えた。
王川中。
体育倉庫。
学校に通っていたあの頃のこと――。
――二年前の十二月。
寒い日だった。
中一。
朝、学校はいつもと変わらなかった。
登校時、私が近づくと玄関にたむろしてた人たちはみんな側を離れていった。
下駄箱を見ると上履きがなかった。
「クスクス……」
「泣いちゃうんじゃない」
「やだー」
「きもいー」
「くさいー」
影で声がする。
私が視線をやると視線をそらす。
「見ちゃダメ。病気が移っちゃうよ」
「きゃああ。やだー」
見ないフリをして上履きを探した。
廊下のゴミ箱ですぐに発見した。
虐めは、小学生の時から続いていた。
何度か心が折れそうになったが、諦めずに通っていた。
もう少しだけ。
もうちょっとだけ、頑張ろう。
そう言い聞かせたばかりだった。
誰とも話さず一日が過ぎた。午前十一時過ぎ。四時限目の授業は体育だった。
体育館が使えず、校庭のコートでバスケをした。バスケが終わった後、みんなは後片付けをせず教室へ戻った。片付けをするのは私の役割だった。
普段、私のことを病原菌扱いして、近づかないようにしているのに、こんな時だけは私に仕事をさせる。
私は都合のいい玩具だった。
けれど、何一つ、反撃できずにいた。
「雨宮さんっ」
「……あ、芥川……、さん」
声をかけてきたのは芥川結愛という同級生だった。
背が高く、スタイルがよく、ルックスもいい彼女は学校の人気者。社交的な性格で、頭の回転もいい芥川は男子からも女子からもモテモテで、クラスの中心だった。
「いつもありがとね! これも、お願いしていいかな?」
芥川はニコッと笑った。
バスケットボールをひとつ、籠の中に入れた。
「あ、これもこれも」
「これも-」
平沼綾花と鳥海恵里菜もボールを籠に入れた。
二人は、芥川と同じようにルックスがよくて、明るい性格をしていて、クラスの人気者だった。
三人でよく一緒に行動していた。
「あ……、う」
「あう? え? 何?」
「あ……、え、えっと、はい」
私はコミュ症。
上手く話せない。
それにあがり症。
しかもバカ。
普段、あんなにも虐められているのにも関わらず、人気者の芥川さんに話しかけてもらえたら、嬉しくなっちゃうようなバカ。
芥川が何の悪巧みもなく私に話しかけてくるわけないことくらい、理解できるはずなのに。
すぐに舞いあがってしまうようなバカ。
そんなだからいい玩具にされてたんだ。
「あはは。雨宮さんって面白いねー」
「え! そ、そ、そんなことない」
「ふふふ。可愛いなぁ-」
「……、そ、そうかなぁ」
「うん。じゃあ、よろしくね!」
芥川はそう言って教室へ戻っていった。
私は嬉しくなって体育倉庫へ籠を押していった。
中に入ってちょっと奥の方へ持っていった。
その時だった。
「今だ!」
――ガシャアアアン
「……!?」
慌てて振り返った時にはもう遅かった。
ドアが一気に閉まった。
「……え?」
急いでドアを開けようとしたが開かない。
施錠された。
もちろん、偶然にドアが閉まるわけはない。
「「「あはははははは」」」
声がした。
よく知っている声。
「やったぁー! 大成功-」
「あいつほんとバカじゃん。何も気づいてなかったじゃんね」
「ねー」
――ドンドンドンドン!
「ちょ、ちょっと! ね。ねえ! 助けてよ!」
扉を叩いて助けを呼んだ。
もちろん反応はなかった。
「じょ、冗談、だよね? ね? ねえ! ねえってば! ちょっと誰か! 芥川さん! ねえー!」
「……」
「だ、出してー! お願い! だ、出してよー!」
大きな声で叫んだ。
普段だったら出せないような声。
いつも地味で人見知りで、声がちいさい私だけど、その時はたくさん頑張った。
「おねがーいー!」
でも、言葉は返ってこなかった。
――アハハハハハ。
笑う声だけが聞こえた。
しかし叫び続けると、一言だけ聞こえた。
――このまま死んじゃえばいいのに。
そう誰かが言った気がした。
真っ暗闇の世界。
私は絶望した。
次は給食時間だから、校庭にはしばらく誰も来ない。スマホは教室。中は寒くて埃臭くて、息苦しい。こんなところに何時間もいたら死んでしまう。
私はいつもこう。
普通に学校生活を送りたいだけなのに上手く行かない。
私が何をした?
何か悪いことした?
なんで私ばっかりこんな目に遭うの?
虐めが始まったのは小学校に入ってから。
雨の日に傘を振りまわして、一緒にヒーローごっこをしてた友人たちが、いつのまにかいなくなっていた。
私は変人かもしれない。
その自覚はある。
だけどもう……。
「もう……、いやだ! やだ! やだあぁ……」
暗闇に向かって叫んだ。
やっぱり誰にも届かなかった。
☆
放課後。
私は発見された。
サッカー部の男子が部活の準備の為に体育倉庫を開けたからだった。
職員室に行った。
もうこんな生活は嫌だ。
今日こそはハッキリと虐めのことを相談しようと思った。
「ん? 何だ? 雨宮」
担任の大楠先生は怪訝な顔をした。
眉間に皺。
大人の男の人にそんな顔をされたら恐くなってしまう。
「まあ……、しかし良かったよ。無事に見つかってさ。いや-、俺はてっきり家に帰ったのかなぁって思ってたからさー、いやいや、まさかあんなところにいたとはな」
「え……? あ、……はい」
驚いたことに大楠先生は私を探していなかった。
家に電話も入れていない。
「実は……、あの、先生。私……」
「まあ雨宮は体も小さいし、声も小さいしな! そんなんだから、閉じこめられちゃったりするんだぞ! もっと、シャキシャキしなさい。な!」
ポンっと肩を叩いた。
満面の笑み。
「あの……、私。その……」
「ん? え? 何だ?」
「実は私あの時……」
「何だって? 声が小さくてよく聞こえないぞ!」
大きな声で言われた。
びくんってなった。
「で! 何?」
「いや……、あの……、何でもないです」
私は何も言えなかった。
「何だよ、おかしなやつだなぁ」
先生は何もわかってない。
でもそんなはずはない。
私はいつもひとりぼっち。友達はいない。学校では誰とも話さない。上履きがなくなるのは日常。
登校したら机が私の廊下に出されていたこともある。
体操着に「死ね!」とか「キモイ」とかたくさん書かれていたこともある。
一クラス三〇名。
毎日顔を合わせていて、私が虐められていることを知らないほうがおかしい。
「まあ、持ちつ持たれつでいこうや。な!」
また肩を叩かれた。
先生は何も知らないフリをしている。
面倒事を避けたい?
私に興味がない? コミュ症でブサイクで可愛くないから?
生徒一人いなくなったのに、家に電話もかけない。
探しもしない。
こうして発見されたのに何も聞いてこない。
体育倉庫に閉じこめられるって、そんな簡単なことかな。
それとも私がおかしいのかな。
答えは出なかった。
でも、翌日から私は学校に行かなくなった。
☆
「行けー!」
――ドカアアアアァァァアン。
中三の五月。
超能力を獲得した私は大楠先生の車を走らせて体育倉庫へぶつけた。
金属製のドアをぶち破って車体が半分建物にめり込んだ。
アクセルは回したまま。
ギュィィィィン、ギュィイインと音がする。
猛烈な白煙。
あの日、開けられなかったドア。
――ボワァァアアアアアアン
次の瞬間、爆発音がした。
一瞬、目を閉じた。
爆風が屋上まで届く。
瞬く間に、爆発炎上。
目映いばかりの火炎が体育倉庫を燃やしている。
立ちのぼる黒煙。
それを見て私は沸き上がる感情を抑えきれなかった。
「はぁはぁ……、あは……、あはははは。や、やった。やった! やったー!」
嬉しかった。
楽しかった。
体育倉庫が燃えていることが、ただただ嬉しくて舞い踊った。
こんなに幸せなことはない。
「やった! やったんだ! ついに私はやったんだ! やったんだー!」
ざまあみろ、と思った。
校舎から先生が何人か出てきた。
教頭先生、校長先生……、大楠先生。
顔まではよく見えない。
でも誰だかはわかる。
どんな表情をしているだろう。
でもどんな顔でもいい。
私が嬉しければそれでいい。
私が幸せなら別にいい。
だってみんなが私にしてきたことは、そういうことだよね。
「おい、ゆゆ」
「あははははは」
「ゆゆ!」
「あはは……何だよ。メル。今、いい気分なのに」
「大丈夫か」
「は? 何が?」
「何ってお前……」
「……?」
何を言ってるのかわからなかった。
私は大丈夫。
復讐に成功して嬉しいだけ。
それだけ。
「お前……、泣いてんじゃん」
「……!?」
え?
泣いてる?
「ゆゆ!」
「え……? あれ……、あれ?」
顔に手をやるとびしょ濡れだった。
ほっぺたは涙でいっぱい。
「え? あれ……、私、何で……ぐす、泣いてんの」
わからなかった。
悲しくなんかない。
幸せなのに涙が止まらない。
こんなことは初めてだ。
「メル! み、見ないでよ。あっち向いててよ」
メルは顔を背けた。
申し訳なさそうな顔をしてる。
恥ずかしかった。
人前で泣いたのなんていつ以来だろう。
「何だよ……、私……、何泣いてんのよ。ほんと……」
それからしばらく涙は止まらなかった。
煙のせいにした。
立ちのぼる煙は屋上まで流れてくる。
涙が出るのはそのせい。
そのせいだ。
五月になった。
通りぬける風は新しい季節の香りがする。
市立王川中学校。
全校生徒は約三〇〇名。
隣には不老川。
住宅街や小畑を流れる小さな小川で、虫取りや水遊びをして子供たちが遊んでいる。
校舎からは不老川がよく見える。
生命の息吹を感じる風が吹き込んでくる。
学校に行ってた頃は教室の窓から不老川ばかりを見ていた。
家から徒歩一五分。
屋上。
八ヶ月ぶりくらいに学校に来た。
もちろん教室には行けない。
能力を使って屋上に来た。
授業はいつも通り行われているとメルが話すが、私はそれを遮った。
「はぁはぁ……」
今日ここに来たのは体育倉庫を燃やす為。
でも、まだ何もしていない。
していないのに胸が締めつけられるようだ。
お腹が熱い。
気持ちが悪い。
不安。
恐怖。
今すぐに逃げだしたい。
車の音や鳥の音にびくんと体が反応する。
「そこまでして……、やる必要あんのかな」
今日はメルと二人で来た。
体育倉庫を燃やすことに百合ちゃんが協力するとは思えない。
「なんだよ。学校を燃やしたらいいって最初に言ったのはメルなのに、やっぱりメルも弱腰なの?」
不登校になってから学校には近づかなかった。
近くに来るだけで調子が悪くなるから。
「そういうわけじゃないけどさ……、何か辛そうだから」
「大丈夫だよ」
PTSD。
過覚醒。
イライラして、物音に敏感になって、不安で落ちつかなくなる。
精神面の不調はダイレクトに体にも現れて、目眩や動悸、嘔気がする。それがピークになると、意識消失する。
学校の周囲に来るだけでそんな感じだった。
だから避けてきた。
トラウマと関連するものを避けようとするPTSDの行動習慣。
「復讐してやる」
とは思うけれど、学校が恐い。
軽く触れたら崩れ落ちてしまう。
脆弱な存在。
「これは戦いなんだ。私にとっての報復戦争なんだよ」
屋上から校舎の裏を見る。
職員の車。
黒のSUV。
見えない手を伸ばし、変形させて、鍵穴に射し込む。
――ブォーーーン
エンジンがかかった。
そのままハンドルを操作し運転する。
この車は大楠先生の物だ。
一年生、二年生の時、担任だった先生。
メルに事前に調べて貰った。
先生の車にはガソリンの入ったポリタンクを四本。さっき詰め込んだ。
アクセルを押し込んで、校庭の方へ走らせる。ゆっくりとカーブを曲がって、校庭へ出たら一気に加速させた。
三〇キロ。四〇キロ……、五〇キロ……。
スピードはどんどん早くなって、その度に私の心音も激しくなった。
「はぁはぁ……、い、行けー」
力がこもった。
体育倉庫へ向けて車は前進。
同時に、私の頭はまた前みたいに無我夢中になった。
何を考えているのかわからなくなる。
怒り。
不安。
恐怖。
それに期待感。
体がガタガタと震え、入り交じった感情で思考整理が追いつかなくなった。
気がつくと幻影が見えた。
王川中。
体育倉庫。
学校に通っていたあの頃のこと――。
――二年前の十二月。
寒い日だった。
中一。
朝、学校はいつもと変わらなかった。
登校時、私が近づくと玄関にたむろしてた人たちはみんな側を離れていった。
下駄箱を見ると上履きがなかった。
「クスクス……」
「泣いちゃうんじゃない」
「やだー」
「きもいー」
「くさいー」
影で声がする。
私が視線をやると視線をそらす。
「見ちゃダメ。病気が移っちゃうよ」
「きゃああ。やだー」
見ないフリをして上履きを探した。
廊下のゴミ箱ですぐに発見した。
虐めは、小学生の時から続いていた。
何度か心が折れそうになったが、諦めずに通っていた。
もう少しだけ。
もうちょっとだけ、頑張ろう。
そう言い聞かせたばかりだった。
誰とも話さず一日が過ぎた。午前十一時過ぎ。四時限目の授業は体育だった。
体育館が使えず、校庭のコートでバスケをした。バスケが終わった後、みんなは後片付けをせず教室へ戻った。片付けをするのは私の役割だった。
普段、私のことを病原菌扱いして、近づかないようにしているのに、こんな時だけは私に仕事をさせる。
私は都合のいい玩具だった。
けれど、何一つ、反撃できずにいた。
「雨宮さんっ」
「……あ、芥川……、さん」
声をかけてきたのは芥川結愛という同級生だった。
背が高く、スタイルがよく、ルックスもいい彼女は学校の人気者。社交的な性格で、頭の回転もいい芥川は男子からも女子からもモテモテで、クラスの中心だった。
「いつもありがとね! これも、お願いしていいかな?」
芥川はニコッと笑った。
バスケットボールをひとつ、籠の中に入れた。
「あ、これもこれも」
「これも-」
平沼綾花と鳥海恵里菜もボールを籠に入れた。
二人は、芥川と同じようにルックスがよくて、明るい性格をしていて、クラスの人気者だった。
三人でよく一緒に行動していた。
「あ……、う」
「あう? え? 何?」
「あ……、え、えっと、はい」
私はコミュ症。
上手く話せない。
それにあがり症。
しかもバカ。
普段、あんなにも虐められているのにも関わらず、人気者の芥川さんに話しかけてもらえたら、嬉しくなっちゃうようなバカ。
芥川が何の悪巧みもなく私に話しかけてくるわけないことくらい、理解できるはずなのに。
すぐに舞いあがってしまうようなバカ。
そんなだからいい玩具にされてたんだ。
「あはは。雨宮さんって面白いねー」
「え! そ、そ、そんなことない」
「ふふふ。可愛いなぁ-」
「……、そ、そうかなぁ」
「うん。じゃあ、よろしくね!」
芥川はそう言って教室へ戻っていった。
私は嬉しくなって体育倉庫へ籠を押していった。
中に入ってちょっと奥の方へ持っていった。
その時だった。
「今だ!」
――ガシャアアアン
「……!?」
慌てて振り返った時にはもう遅かった。
ドアが一気に閉まった。
「……え?」
急いでドアを開けようとしたが開かない。
施錠された。
もちろん、偶然にドアが閉まるわけはない。
「「「あはははははは」」」
声がした。
よく知っている声。
「やったぁー! 大成功-」
「あいつほんとバカじゃん。何も気づいてなかったじゃんね」
「ねー」
――ドンドンドンドン!
「ちょ、ちょっと! ね。ねえ! 助けてよ!」
扉を叩いて助けを呼んだ。
もちろん反応はなかった。
「じょ、冗談、だよね? ね? ねえ! ねえってば! ちょっと誰か! 芥川さん! ねえー!」
「……」
「だ、出してー! お願い! だ、出してよー!」
大きな声で叫んだ。
普段だったら出せないような声。
いつも地味で人見知りで、声がちいさい私だけど、その時はたくさん頑張った。
「おねがーいー!」
でも、言葉は返ってこなかった。
――アハハハハハ。
笑う声だけが聞こえた。
しかし叫び続けると、一言だけ聞こえた。
――このまま死んじゃえばいいのに。
そう誰かが言った気がした。
真っ暗闇の世界。
私は絶望した。
次は給食時間だから、校庭にはしばらく誰も来ない。スマホは教室。中は寒くて埃臭くて、息苦しい。こんなところに何時間もいたら死んでしまう。
私はいつもこう。
普通に学校生活を送りたいだけなのに上手く行かない。
私が何をした?
何か悪いことした?
なんで私ばっかりこんな目に遭うの?
虐めが始まったのは小学校に入ってから。
雨の日に傘を振りまわして、一緒にヒーローごっこをしてた友人たちが、いつのまにかいなくなっていた。
私は変人かもしれない。
その自覚はある。
だけどもう……。
「もう……、いやだ! やだ! やだあぁ……」
暗闇に向かって叫んだ。
やっぱり誰にも届かなかった。
☆
放課後。
私は発見された。
サッカー部の男子が部活の準備の為に体育倉庫を開けたからだった。
職員室に行った。
もうこんな生活は嫌だ。
今日こそはハッキリと虐めのことを相談しようと思った。
「ん? 何だ? 雨宮」
担任の大楠先生は怪訝な顔をした。
眉間に皺。
大人の男の人にそんな顔をされたら恐くなってしまう。
「まあ……、しかし良かったよ。無事に見つかってさ。いや-、俺はてっきり家に帰ったのかなぁって思ってたからさー、いやいや、まさかあんなところにいたとはな」
「え……? あ、……はい」
驚いたことに大楠先生は私を探していなかった。
家に電話も入れていない。
「実は……、あの、先生。私……」
「まあ雨宮は体も小さいし、声も小さいしな! そんなんだから、閉じこめられちゃったりするんだぞ! もっと、シャキシャキしなさい。な!」
ポンっと肩を叩いた。
満面の笑み。
「あの……、私。その……」
「ん? え? 何だ?」
「実は私あの時……」
「何だって? 声が小さくてよく聞こえないぞ!」
大きな声で言われた。
びくんってなった。
「で! 何?」
「いや……、あの……、何でもないです」
私は何も言えなかった。
「何だよ、おかしなやつだなぁ」
先生は何もわかってない。
でもそんなはずはない。
私はいつもひとりぼっち。友達はいない。学校では誰とも話さない。上履きがなくなるのは日常。
登校したら机が私の廊下に出されていたこともある。
体操着に「死ね!」とか「キモイ」とかたくさん書かれていたこともある。
一クラス三〇名。
毎日顔を合わせていて、私が虐められていることを知らないほうがおかしい。
「まあ、持ちつ持たれつでいこうや。な!」
また肩を叩かれた。
先生は何も知らないフリをしている。
面倒事を避けたい?
私に興味がない? コミュ症でブサイクで可愛くないから?
生徒一人いなくなったのに、家に電話もかけない。
探しもしない。
こうして発見されたのに何も聞いてこない。
体育倉庫に閉じこめられるって、そんな簡単なことかな。
それとも私がおかしいのかな。
答えは出なかった。
でも、翌日から私は学校に行かなくなった。
☆
「行けー!」
――ドカアアアアァァァアン。
中三の五月。
超能力を獲得した私は大楠先生の車を走らせて体育倉庫へぶつけた。
金属製のドアをぶち破って車体が半分建物にめり込んだ。
アクセルは回したまま。
ギュィィィィン、ギュィイインと音がする。
猛烈な白煙。
あの日、開けられなかったドア。
――ボワァァアアアアアアン
次の瞬間、爆発音がした。
一瞬、目を閉じた。
爆風が屋上まで届く。
瞬く間に、爆発炎上。
目映いばかりの火炎が体育倉庫を燃やしている。
立ちのぼる黒煙。
それを見て私は沸き上がる感情を抑えきれなかった。
「はぁはぁ……、あは……、あはははは。や、やった。やった! やったー!」
嬉しかった。
楽しかった。
体育倉庫が燃えていることが、ただただ嬉しくて舞い踊った。
こんなに幸せなことはない。
「やった! やったんだ! ついに私はやったんだ! やったんだー!」
ざまあみろ、と思った。
校舎から先生が何人か出てきた。
教頭先生、校長先生……、大楠先生。
顔まではよく見えない。
でも誰だかはわかる。
どんな表情をしているだろう。
でもどんな顔でもいい。
私が嬉しければそれでいい。
私が幸せなら別にいい。
だってみんなが私にしてきたことは、そういうことだよね。
「おい、ゆゆ」
「あははははは」
「ゆゆ!」
「あはは……何だよ。メル。今、いい気分なのに」
「大丈夫か」
「は? 何が?」
「何ってお前……」
「……?」
何を言ってるのかわからなかった。
私は大丈夫。
復讐に成功して嬉しいだけ。
それだけ。
「お前……、泣いてんじゃん」
「……!?」
え?
泣いてる?
「ゆゆ!」
「え……? あれ……、あれ?」
顔に手をやるとびしょ濡れだった。
ほっぺたは涙でいっぱい。
「え? あれ……、私、何で……ぐす、泣いてんの」
わからなかった。
悲しくなんかない。
幸せなのに涙が止まらない。
こんなことは初めてだ。
「メル! み、見ないでよ。あっち向いててよ」
メルは顔を背けた。
申し訳なさそうな顔をしてる。
恥ずかしかった。
人前で泣いたのなんていつ以来だろう。
「何だよ……、私……、何泣いてんのよ。ほんと……」
それからしばらく涙は止まらなかった。
煙のせいにした。
立ちのぼる煙は屋上まで流れてくる。
涙が出るのはそのせい。
そのせいだ。