お見合い政略結婚~極上旦那様は昂る独占欲を抑えられない~
 うしろには壁がないはずなのに、私はぽすっと何かに受け止められる。
 不思議に思いうしろを振り返ると、そこにはここにいるはずじゃない人がいた。
「たっ……、高臣! あっ」
 興奮しきった声でその名を呼んだ井山さんは、慌てて口を両手で押さえていた。
 岡田さんも「ほんとに実在したんだ」と、まじまじと高臣さんを見つめながらぼそっとつぶやいている。
 な、なんで高臣さんがここに……!
 高臣さんは少し心配そうな表情で、私の顔を見つめている。
「高臣さん、なぜここに……というか、どうやってここまで入れたんですか!」
「食堂の準備をしていた子に許可は取った」
「うちのセキュリティ……」
「凛子が昨夜から百面相していたから、何かあったのかと思ってな。でももう、大丈夫そうだな」
「聞いてたんですか!」
「さっきも、凛子の色んな表情が見れて嬉しかった」
「本当に何を言ってるんですか……?」
 不安な顔で聞き返したが、高臣さんは私の顔をじっと見つめたまま目を逸らさない。
 昨日はとくに何も突っ込んできたりしなかったのに、私の様子がいつもと違うことに気づいてくれていたのは素直に嬉しい……けど、職場には来ないでほしかった。
 なぜなら、高臣さん周辺の空気にもうすでに異常が起きているからだ。
 ちらっと高臣さんのうしろを見てみると、パートのおばさんたちがキラキラとした瞳で彼のことを盗み見ているし。井山さんは硬直してしまっている。
 このままでは、厨房が回らなくなってしまう……!
「井山さん。お会いするのは久しぶりですね」
「み、三津橋さん……。その節はお世話になりまして」
 慌てている私をよそに、高臣さんは赤面している井山さんに向き合って話しかけた。
 井山さんはさっきまでの威勢はどこへやら。おどおどしながらぺこっと頭を下げている。
 さっきまでいた般若はいったいどこへ消えたんだ……。
「高梨園の和菓子とのコラボ、とても楽しみにしています。井山さんの農園のぶどうは、本当に和菓子との相性もいいんです」
「お役に立てたようでよかったです……」
「うちの妻はどんな食材にも真剣に、愛をもって接しています。なので、安心して任せてもらえたらと」
「はい、それは……なんとなく分かりました」
 とても小さい声だけれど、井山さんが少しでもそんな風に感じてくれていたことを嬉しく思った。
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