クールな社長の不埒な娶とり宣言~夫婦の契りを交わしたい~
 食が進まなかった理由は、一緒に食べる相手が君だからで、その時既に君と一緒にいることを後悔していたからだよ。

 そう言ったら、楽しそうにひとりで話し続ける彼女は、少しはおとなしくなるだろうか。

 もしくはこう言ってやろうか。

 一度もキスをしていないのに、よくもそれだけだ楽しそうにしていられるね。
 目隠しをされていたこと、なんの抵抗もないってなんなんだお前。
 それって何度もイカされたから? それで満足ってことなのか?

 ――なんでもいい。
 どうせもう会うことはない。

 ほんの三十センチも手を伸ばせば簡単に触れることができる助手席。

 そこから絶え間なく響く彼女の声と、時折漂ってくる甘い香りに居たたまれなった頃。
 車はようやく彼女が大企業の重役を務めているというパパから買ってもらったというマンションの前に到着した。

 車を止めて、助手席から下りる前に、彼女は首を傾げて聞いてきた。

「あがってお茶でもどう?」

「いや。帰るよ」

「今度いつ会える?」

「また連絡する」

 宗一郎はふたつの返事を短く答えながら決意した。
 家に帰ったら最初に、スマートホンのアドレス帳から、この女の記録を消そうと。

 明るいエントランス前に彼女を置き去りにして車を走らせ、信号を左折したところでウインドウを開けた。
 ウィーンという微かな機械音と共に入り込んだ夜の風が、女の残した甘ったるい香りを車の外へと流していく。

 ――本当はどうだっていい。

 たとえ口紅をどこで塗ろうと、塗らなかろうと、そんなことはどうだってかまわない。
 パパがどうしようが、延々しゃべっていようが、なんの問題もないんだ。

 もちろん彼女はなにも悪くない。
 わかっている。

 そんなことを思うようになってしまった自分はもう、何かを大きく踏み外したまま、壊れかけているんだろう。

 少しずつ、破れたポケットから小銭が落ちていくように、
 ひとつまたひとつと、心のなかにあるべきものが剥がれおちてしまったのだ。

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