眠れない夜は、きみの声が聴きたくて
夕方。私はリビングで夕食を取っていた。
正面のダイニングテーブルにはお母さんとお父さんが並んで座っている。最近の会話はお母さんのお腹に宿っている赤ちゃんの話ばかりだ。
ふたりはベビー用品を買い揃えたりして、新しい命の誕生を楽しみにしている。そんな幸せそうな光景を見るたびに、私の中で複雑な気持ちが芽生えていた。
……妹ができるなんて、想像できない。
まだお父さんへの接し方もよくわかっていないのに、環境ばかりが目まぐるしく変わっていく。
「響もお姉ちゃんになるの嬉しいでしょ?」
お母さんに問われて、「うん」と形だけの返事をしたものの、現実と心が追い付いていなかった。
「市川、おはよう!」
翌日。昇降口で元気に声をかけられた。挨拶をされることに慣れてないので、驚きすぎて履き替えようとしていた上履きを落としてしまった。
「大丈夫?」
まるで王子様のように片膝をついて、三浦が私の上履きを揃えてくれている。顔を上げた彼はにこりとして、もう一度私におはようと言った。
私の記憶違いだろうか。昨日ひどいことを言ってしまったはずなのに、三浦はちっとも動じていない。
「親睦会、行く気になった?」
「何度誘われても行かないよ」
「そう言うと思ったから今日は別の話。ちょっと耳だけ貸して」
「は? な、なんで……」
私の意見なんか聞かずに三浦は顔を近づけてきた。そして小さな声で耳打ちをされる。
「もし入る部活に悩んでるなら、一緒に写真部に入らない?」
生徒たちが行き交う昇降口でも、それははっきりと私の鼓膜に届いた。
「実は俺も帰宅部が廃止されて困ってるんだよ。期限までに決めないと、適当なところに振り分けられるらしいし」
私のことをからかっているのかな?
たしかに三浦が部活をしてる姿は見たことがないから、帰宅部だったというのは本当だろう。でも、私のことを誘う意味がわからない。
「写真部は部員も少ないし、顧問も他の部活と掛け持ちしてるから厳しくないって噂だよ」
「なんでそんなこと私に言うの?」
「うん?」
「友達ならたくさんいるでしょ? 私に声をかけなくたって三浦と部活をやりたい人なら探さなくたって見つかるよ」
「俺と一緒に部活がしたい人じゃなくて、俺が一緒に部活をしたい人がいいんだけど」
「………」
「一緒に写真部に入ろうよ」
その笑顔がやけに眩しかったことを今でも覚えている。
ひとりぼっちだった十四歳の世界。
ただのクラスメイトで終わるはずだった彼が、私の心に入り込んできた瞬間だった――。