ロマンスフルネス 溺愛される覚悟はありますか?
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「矢野さん、もう体は大丈夫ですか?」


「はい、お陰さまでもうすっかり怪我も良くなりました。」


あの日以来、九重さんがよく様子を見に来てくれるようになった。夏雪曰く、私が無茶をしないか見張っているらしい。今日もベリーヒルズ内の病院で診察を受けるときに付き添ってくれる。


私はあの日、車の中で暴れたときに捻挫してしまったので、既に何度か通院していた。病院に併設されたカフェで九重さんとお茶をするのも、なんとなく習慣のようになっている。

開放的な中庭では芝生で小さな子供たちが遊んでいて、よちよち歩きの可愛い動きをつい目で追ってしまう。


「それで、プロポーズのお返事はもう決めたんですか?」


「うわっ、九重さんご存知だったんですね」


私が慌てても、九重さんは「それはもう、夏雪様の一生に関わることですから」と穏やかに微笑んでいる。


「真嶋家のご結婚に纏わる歴史については、もうご説明を受けているんですよね。」


「はい…。でも、結局過去のものだから、関係無いって」


「矢野さんは勇気がありますね。…だからこそ、夏雪様はあなたを選んだのかな」


「勇気、ですか?」


九重さんの一つの瞳が緩む。熱心に講義を受ける生徒を褒めるような微笑みだった。見つめると胸の内に小波が立つ。


「私は夏雪様の秘書ですから、あの方の不利益になるようなことは本来言えませんが…」


九重さんは、夏雪様にはご内密にしてくださいね、と前置きして話を続けた。


「矢野さんが仮に私の娘や妹だとしたら、悪いことは言わないからやめておけと言います。」


心のどこかで想像していた通り、否定的な意見だった。怖いけれど、いつも穏やかで人当たりのいい九重さんが私に本心を見せてくれたのだから、心して聞かなきゃと思う。


「九重さんは…夏雪のことをすごく好きなのに、どうして?」


「それは勿論、心より尊敬してます。だからこそです。あの方は特別な方です。一目見てわかる通り、住む世界が違う。

歴代の樫月家が選んだ妻も、等しく家柄と才能、容姿に恵まれた方々です。

その制度が廃止されても本質的に求められる性質は変わりませんから、…比べられるわけですよ。歴代の妻と、ごく普通に生まれ育ったあなたが。

それだけでなく、将来お生まれになる子も。」


九重さんが痛ましそうに瞳を伏せる。夏雪にプロポーズされて浮き足立っていた私に冷や水をかけるには十分過ぎるほどの言葉だった。


「みにくいアヒルの子のお話をご存知ですよね。あの話、結局は雛が美しい白鳥だったから救いがありますけど、逆だったらどうなると思います?

美しい白鳥の中に、凡庸なアヒルが一羽混ざっていたら悲惨ですよ。アヒルはアヒルとして可愛い筈なのに、白鳥の中に混ざっているせいで、滑稽で、空も飛べず、さぞかし無能な存在に見えるでしょうね」


もうやめて

九重さんの口を塞ぎそうになるのを、やっとのことで堪える。九重さんは自分の立場を捨ててまで私のためにアドバイスしてくれてるのだ。責めることなんてできない。


むしろ、身の程知らずだと思いもしなかった私の方が馬鹿なんだ。


痛む胸を押さえて笑顔を取り繕おうとすると、視界の端にフワフワと白い物体が横切った。


「みんなを元気にする、おーくんだよー」
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