ロマンスフルネス 溺愛される覚悟はありますか?
「どうぞ」
気がついたから目の前に綺麗に折り畳まれたハンカチが差し出されていた。いつからそこにいたのか、九重さんがまっすぐにクロエを見つめている。
「…失礼、その方は、真嶋 夏雪様ではないですか?」
「オゥ、イエス!!イエス!彼、知ってる?」
目の前で九重さんとクロエが夏雪の話をしてるのに、どこか現実感が薄れて、ただ二人をぼーっと眺めていた。
次第に二人の会話は英語に変わり、ますます口を挟めなくなる。英会話が全然上達しない私でも、不思議と二人の言っていることは頭に入ってきた。
クロエと夏雪の別れは突然だったらしい。彼の家に別れさせられた訳でもない。ただ夏雪がクロエに伝えた言葉が原因だった。
「私が、スノウの顔を見たいと、あなたを見ることができないのが、どうしても悔しいと言ってしまったの。
そうしたら、スノウは、いとも簡単に私に瞳をくれると言った。自分は無くていいからと、今にも瞳をくりぬいてしまいそうだった。
私は彼の言葉に傷ついたし、スノウが本当に実行してしまいそうで怖くなって。
だから、ありったけの怒りをぶつけて彼を殴って逃げた。その後も行方がわからないようにしてしまった。
九重サン、もしスノウを知っているなら、彼に私の話を伝えてくれませんか?
もう一度スノウに会えるなら謝りたい。それで、できれば…」
嫌だ、やめて
絶対に会わないで
ああ、そんなの卑怯だ。
最低だな私…。
けれど、さっきまで聞いていた想い出話が夏雪とクロエの姿に置き換わって、頭の中にフィルムのように写し出されていくのだ。二人が再会したらどんな物語が始まるのか、考えなくても分かってしまう。
ただじっと置物のように固まってる私に、九重さんが気を使うように問いかける。
「…お二人がお会いになるかどうか、矢野さんに伺ってからの方が良いですよね?」
「わ、私は…」
大丈夫ですよ。と言えなくて、その場に沈黙が訪れる。どう答えなきゃいけないか分かってるのに全然できないなんて、初めての事だった。
「夏雪様より、矢野さんは大変思い遣りに溢れた方だと伺っております。ここは、クロエさんのご意向を尊重されては?」
「…」
「sorry、トーコ!
何も、聞かなかった。全部、無し!OK?」
私が言葉に詰まったことで、クロエまで状況を察してしまったらしい。彼女らしい謙虚さと高潔さで、自分の強い思いを押し殺してしまう。クロエは、人として立っている次元が私とは全然違っていた。
「違うの!大丈夫だよ。びっくりしただけだよ」
「ノー、プロブレム。いらない話。ごめんなさい。トーコ、私もういなくなる。だから、悩まない!」
それだけ言うと、クロエは猛スピードで駆け出してハロウィンの人波に紛れてしまった。
「待って!危ないからっ、今日はいつもより人がたくさんいるの!」
呼び掛けても返事はないし、携帯にも出ない。九重さんと一緒に辺りを探してしても全然姿が見えなかった。
彼女の視力がどれくらいかわからないけど、自分の顔だってよく分かってないくらいなのだ。こんな場所で走りだしたら危険に決まってる
「クロエさんの場合は、第六感というか…気配の察知に優れて普通に動けてしまうので、周りには目が不自由と悟られないのが余計に危険ですね」
「どうしよう…九重さん、どうしたら見つけられる?」
「手段を選ばなければ、一つ方法が」
「クロエの命に関わるの!お願い!」
すがり付くと九重さんは携帯を取り出した。
「非常時です。要人確保のため、ベリーヒルズビレッジ内監視カメラへのアクセス許可を。
対象はクロエ ビルドグレイン様。ビルドグレイン財閥のご養子です。…というよりも、真嶋さんと旧知の方と言った方が伝わりますよね。
単独行動されていますが、視力にハンディキャップがあり、早急な身柄の確保が必要です。」
電話先の相手は夏雪のようだ。夏雪はすぐに手配をしてくれたみたいで、九重さんがタブレットを取り出すと、樫月グループ内で管理されている監視カメラ映像に接続されて、検索画面からクロエの特徴に近い人が検出されていく。
九重さんはタブレットでクロエを探しながら夏雪と電話を続けていた。
「何故…というのは、お察し頂けるのではと。真嶋さんを真剣に愛する女性が二人いらっしゃるのですから、トラブルは必然です。」
まるで夏雪をめぐってケンカしたように聞こえて口を挟みたくなったけど、ぐっとこらえた。
あの瞬間にクロエと私が感じ取ったものは、もっと複雑で、言葉にできない痛みの共有だった。クロエともっと話がしたい。とにかく今は彼女を見つけ出さないと。
「クロエさんが行きそうな場所にお心当たりはありますか?」
タブレットを覗き込むと、携帯から夏雪の声が漏れ聞こえてくる。
「自然が多い場所でしょうか。海とか…」
夏雪の答えに二人の想い出の面影が見え隠れして胸が痛んだ。そんなこと気にしてる場合じゃないのに。さっきから、状況に付いていけずに心と頭がバラバラになったみたいだ。
九重さんがベリーヒルズビレッジの出口を付近を調べると、すぐにクロエの姿が見つかった。
「いらっしゃいました。西側出口から外に向かってますね…」
「了解!すぐ探しに行きます」
「矢野さん?待ってください…!」
引き留められたけど構わずに走った。捜索は少しでも早いほうがいい。
西側の出口からは駅も近いけど、日本の交通機関に詳しくないクロエは使わないはず。視界も限られているなら、タクシーに乗るのが普通だろう。何台か列を作っているタクシーに乗り込んで、この辺りで海に行けそうなところに連れていってもらうことにした。
「お客さん、今日は止めておいた方がいいんじゃないですか?緊急の大雨警報が出てますよ」
「そうなんですか!?でも、とにかく…急いで!」