ロマンスフルネス 溺愛される覚悟はありますか?
九重さんの襟が捕まれ、そのすぐ背後には凍りつくような目で彼を睨む夏雪が立っていた。
「九重、そこまでです。
これ以上透子を追い詰めるなら、お前を殺さないと気が済まなくなる」
「どのような誤解の上にそう仰っているのか分かりかねますが」
「いい加減にしろ!」
夏雪が九重さんの頬を殴り付け、酷い音とともに九重さんは壁際まで飛ばされていた。尻餅をついたまま、目を爛々と光らせる夏雪を呆けたように見上げている。その唇から、赤い血がぽたっと落ちた。
「透子との会話は始めから全部聞いていました。透子が九重と話をしたいと言ったから、彼女の意向を汲んだまでのこと。でも、それも限界です。
ずっと普段通り接してきましたが、九重が秘書としても、一人の人間としても信用のならない相手だということは、もう分かっています。」
「何を…」
呟きかけた九重さんは、決意したように夏雪に訴える。
「あなたは…あなたは私にとって特別に尊い存在なんですよ。唯一無二の血統と、類い希な能力、カリスマ性、そして、その気高い気性。
全てが凡人とは異なっておいでです。ですから私は、真嶋さんが矢野透子のような凡百の女性に騙されるのを見ていられなかった。私の立場を危険に晒してもお止めしなければと」
「透子を愚弄するな!」
「それですよ、真嶋さんは矢野透子の事になると常に感情的になってしまわれる。
はっきり申し上げるなら、本来完璧な真嶋さんが浅慮な若者のように変わってしまうんですよ。
現に矢野透子との交際によって悪評を立てられていますよね?本家との関係性の悪化も一向に省みない。そういう真嶋さんをお止めするのも私の役割と自認しております。」
「それで人を雇って彼女を襲わせたのか。その程度の理由で」
「襲わせたとはずいぶんと一方的な見方ですね。矢野透子はレジデンスのラグジュアリーな生活を楽しんでいただけですよ。毎晩、パーティーで酒を飲み、真嶋さんに会えない寂しさからか、適当な男をひっかけていた。
もう少し彼女にレジデンスで暇な生活をさせていれば、自然と化けの皮が剥がれていたと思いますよ。彼女の本性をお見せできずに残念ですが。」
「黙れ…」
夏雪が座ったままの九重さんの肩を踏みつけると、何故か九重さんは満足そうに笑った。
「そうです。真嶋さんは私のような凡人を足蹴にする姿こそがお似合いになる。
矢野透子に関しては、毛色の変わった女が珍しかっただけでしょう」
「これ以上その減らず口を叩くなら外へ。透子はつい先ほどまで昏睡状態だったのです。安静にさせたい。此処はお前の断罪には相応しくない」
夏雪が九重さんの襟を掴んで立ち上がらせ、外へ連れ出そうとすると、初めて九重さんが抵抗をみせた。その場に踏み留まって声を荒らげる。
「真嶋さんはもう本来のパートナーと出会っているではありませんか!
クロエ ビルドグレイン様ですよ。あの容姿でビルドグレイン財閥の養女ですから、盲目であることを差し引いても十分でしょう。
いや、むしろ盲目の妻を献身的に支える方が今の時代は美談として受け入れられるかもしれません、いっそ手術などせず彼女には、」
「身体的な問題を美談などと…吐き気がする」
「失礼、私にとってクロエ様は利用価値の高い女性ですが、真嶋さんにはシンプルに愛の問題ですよね。
うわべだけの恋人の矢野透子に遠慮して本来の愛を見失ってしまうのは、あまりにも愚かな選択と言えるでしょう」
その言葉は、一番痛い傷口をアイスピックで指されるようだった。
胸の痛みに耐えるように息を殺していたら、大きな電子音が鳴る。身体に繋がれたセンサーがアラートをあげたようで、看護師さんが慌ただしくやってくる。
「どうなさいました…?
目が覚めたんですね!もう大丈夫ですからね」
てきぱきと処置をしてくれる看護師さんたちが夏雪と九重さんの姿に驚いて、病室から出るように厳しく伝えていた。
「透子!」
「緊急時です、患者に話し掛けないで下さい」
「彼女に今伝えなければ」
「それで患者に万一の事があったらどうするのです!」