行き着く先は・・
••修吾・聡吾
希空の隣の男性は、
修吾の息子で聡吾であった。
聡吾は、父親である修吾を
父とは思ってなく
ただ、会社の社長だと。
日本で育ち、日本で働いていた父は、
海外に視野をむけるとイタリアに進出した。
イタリアにいる先輩を頼りに
母を連れて渡米した。
だが、仕事にのめり込むにつれ
母は放置され、ずっと一人で
寂しい思いをしていたと····
聡吾が生まれてからも
父は変わることなく
より一層仕事に執着をしていった。
聡吾自身も、父と中々会えず
もちろん寂しかったが
母や友人(日本人学校)もいてくれたから
母ほどではなかった。
だが、徐々に体調を崩していく母を
聡吾は見てるしかなかった。
もちろん、父・修吾にも訴えた
だが、父は病院に行くように
母に言うだけだった。
食べることも寝ることも出来ず
母は、壊れて行き
倒れている母が病院に運ばれたが
母の意識はなく
母は、眠ったままで
暫くして息を引き取った。
病院に駆けつけた父は、
秘書に後の諸々の所用を言いつけて
病院を後にした。
その父の後ろ姿を
母に対しての思いやりのなさを
聡吾は、忘れる事ができなかった。
母は、イタリアの地に眠っているが
日本へ帰りたかったのでは
ないかと今でも思っている。
父親と二人になっても
相変わらず父は、
家にいることは殆どなく
俺は家政婦さんに
食事を作ってもらい
学校生活を送り
大学を卒業するときに
父から、会社を継ぐ気持ちがあるかと
問われて『ない』と答えた。
たまたま、大学時代にモデルを
やってみないかと声をかけられ
入った会社が父親の会社だっただけだ。
だが、回りは、
俺が父の子供だとは知らない。
父も俺も言うつもりもなかった。
そんな父から珍しく電話があり
「とても、お世話になった方が
日本へ帰るから日本へ着くまで
見届けて欲しい。」
と、頼んできた。
はぁ?と思ったが
今まで生きてきて
父からの頼み事が初めてだったから
興味もあり引き受けた。
だが、とんぼ返りもだるいから
日本の仕事を一つ、二ついれて
もらった。