ダチュラの咲く夜に
「待ってください。」
五十嵐の声だとすぐにわかった。
「それだけですか?菊地に言わなければいけない事があるんじゃないですか?」
斜め右後ろから聞こえたその声には揺るぎない正義感に混じって怒りも感じられた。

「五十嵐、こいつはな、去年同じような事件を起こしてるんだ。前科のある者から、つまりは可能性の高いものから潰していく。犯人探しの基本だろう。」
「私には誤りをもみ消そうという自分のエゴを正当化してる風にしか聞こえません。それに、彼はきちんと謝罪をした上でその件は着地したはずです。過ぎた事を何度も掘り返し、罪を心に刻み付ける事が平塚先生の教育ですか?」

五十嵐の目には光るものが見えた僕はギョッとした。
菊地のことが好きなのか?単なるクラスメートの為に何でそんなに怒るんだ。菊地がどうなろうと関係ないじゃんか。

空気とは不思議な物で、その空間に存在する最も権力の強い者に皆賛同する。
さっきまでは平塚。今は五十嵐だった。あんなにさっきまで菊地に対して罪を認めろよと思っていた奴らが今は「そうだ、そうだ」と平塚に冷たい目線を送っている。僕もだが。

五十嵐の正論に言い返すことの出来なかった平塚はこちらに背を向け、小さくなった背中の向こう側から小さく「悪かったな。」と言って去って行った。

菊地が顔を拭う仕草を一度だけしたのを僕は見逃さなかった。

その日は、一日中五十嵐の事を考えていた気がする。
僕は元々他人にあまり興味を持てない人間だったし、菊地のような不良にはむしろ関わりたくないし、成績によって僕らを評価する教員に歯向かう等絶対にしない。
何で?どうして?好きなのか?菊地が。
やっぱり五十嵐は僕とは違う人種の人間だと思った。

その日の放課後、僕の足は自然と図書室に向かっていた。五十嵐に会いたくて。
夕陽に照らされた彼女の横顔は綺麗でいつも以上に見惚れる。

その日の彼女はいつもの様な教科書や参考書ではなく、植物図鑑を机に広げていた。
「理科の勉強?」
悪戯っぽく覗き込んだ僕に一瞬驚いた彼女はすぐに気まずそうに目を逸らした。
数秒間の沈黙が続き耐えられなくなった僕は何とか口を開いた。
「これ、何て花?」
植物図鑑だもの。写真の下を見れば植物名が書いてあるだろうに、と言い終わって直ぐに後悔する。
彼女は僕の焦りを察したのかクスッと笑った。

「気遣ってくれなくていいよ。自分でもびっくりしたの。あんなにカッとなるなんて。」
「菊地とそんなに仲良かったっけ?」
「そんなんじゃないよ。菊地の為に怒ったんじゃない。」
「どういう意味?菊地の事好きなのか?」
「だからそんなんじゃないってば。あ、この花、綺麗だよね、ダチュラ。でも食べると幻覚・幻聴・興奮、覚醒剤に近い症状を引き起こす超怖い花だよ。花言葉はね、『偽りの魅力』。あたしみたい。」
「どういう事だよ、話逸らすなってば」
「うっさいなー早く帰んなよ」
結局その日はあそこまで彼女が怒りを覚えた理由を知る事はできなかった。
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