ダチュラの咲く夜に
「凌ちゃん?」
僕の顔を覗き込む綾那の心配そうな顔で我に返る。
あ、ごめんと今の状況を整理する。観覧車のゴンドラは頂上に近づきつつある。
「もー何?夏バテ?せっかくのデートなのに。」
ため息をつきながら僕から外に目線を逸らす彼女の頭をごめんごめんと繰り返しながら撫でた。

あの花を見たせいで変な記憶を思い出してしまった。
忘れたと思っていた、既に完治したと思っていた昔の古傷はどうやら、まだかさぶただったらしい。

「ごめんってば綾那。機嫌直せよ、な?」
頬を膨らませながらも、そこまで怒ってはないらしい、と思う。
彼女が本当に起こった時はもう手がつけられない。以前、会社の後輩の女の子と帰り道がたまたま2人になり、更に運悪く綾那とバッタリ会ったことがあった。

こちらに気づくやいなや、鬼の様な形相で駆け寄り、後輩の女の子を平手打ちしようとしたところを僕が間一髪止めた。
後輩を先に帰し、弁解を試みたが彼女の怒りは収まらず帰宅ラッシュの東京駅の真前で、野次馬の目に晒されながら大声で罵詈雑言を並べる彼女を宥めたのだった。

ゴンドラはいよいよ頂上に差し掛かる。大丈夫、大丈夫だ。イメトレはしてきた。よし。
「綾那」
緊張が伝わったのか、外の景色を眺めていた彼女は体をこちらに向ける。
「え、何?怖い顔して」
深呼吸をした後、ゆっくりと右ポケットに手を伸ばす。
小さな箱を取り出した所で大抵の大人は状況を理解できるだろう。
綾那もただでさえ大きなクリクリな目を更に見開いた。

「この3年間、楽しい時も、辛い時も俺の隣にはいつも綾那がいて、綾那のおかげで俺、すげぇ幸せだった。これからもずっと一緒にいたいから、俺と結婚してくれませんか?」

決まった。一言一句言えた。僕たちは子供じゃない。社会人になって3年付き合ったらもう結婚を意識していただろう。

この後、泣きながら指輪を受け取ってくれて抱き合う。それが僕のシナリオだ。
「ごめん。」
シナリオにない台詞を言われ、僕の脳は急停止した。長い沈黙が続く。

「え…それって…。」
「ごめん。今は、結婚は出来ない。」
「…どうして?」
「ごめんね、凌ちゃん。」
「いや、今結婚できないのは分かったから理由を教えくれない?教えてくれたら俺ずっと待つから。」
「ごめん。」
話が一向に進まなかった。今の僕らと比べたらこのゴンドラの方がよっぽど高速に感じる程だ。

差し出した指輪は行き場をなくし僕の膝の上に収まる。
気まずくて、恥ずかしくて何を言えばいいのかわからなくて、そのまま出口に向かい、遊園地を出た所で別れた。
別れ際、綾那が何か言おうとしていたが気づかぬふりをして置いて来た、と言った方が正しいかもしれない。

ガタガタと激しく揺れる地下鉄の窓ガラスに映るやつれた自分の顔を見てははっと笑った。馬鹿馬鹿しい。勝手に舞い上がって勘違いして色々と準備してこのざまか。
高級ホテルのスイートルームを予約していた事を思い出し、消えてしまいたいと思った。

高級ホテルではなくマンションの自宅に着いた僕は、シャンパンではなく缶ビールを空け、味わいながらではなく、一気に飲み干した。
ダブルではなくシングルのベッドに倒れ込み、綾那ではなく抱き枕を抱きながら眠りについた。
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