誰の特別にもなれない
「史、あんたはちゃんといい男選びなさいね」
「えー、いい男なんていませんよ」
「まぁ確かにあんたみたいな非モテちゃん誰も相手にしてくれないね」
「お母さん実の娘になんてこと言うの?」
「お母さんはモテたのにかわいそう」
「祐太、冷蔵庫のお母さんのプリン食べていいよ」
「ごめん史お母さんが悪かった」
「ぷりんー!」
やったぜ! って走る祐太がお母さんにプロレス技をかけられてこれ! これホテルでやってたんだ!? ってバタバタする様は非常に滑稽だったけど、ガッチリホールド決めたガタイのいい母が私を見てほんとよ、って念を押すのは、なんとも心苦しかった。
「ほんとよ史、あんたはいい男選びなさい」
「がんばるー」
「がんばれー」
がんばる、がんばる、がんばったよ、お母さん。でもね。でも、人の心が離れちゃうのなんて簡単で、そんで知らないうちに抜け出した空白で何事もなかったみたいに手を出しては、けろっとした顔で戻ってくるんだよ。
颯くんがそんな人だって思わなかったから私はちょっと怖かったし、ちょっとって言うかだいぶ怖かった。人間信じられなくなって、ね、ね、浮気なんて。
そこに真実も救いもないのにね。
◇
「史」
耳元で名前を呼ばれて、そこでびくっと飛び上がる。
瞬時に振り向いたらおはようって軽く言われて、おは! って叫んだら「ずっと呼んでんのに」と叱られた。登校、は、一緒にする。彼氏の颯くんは、遅刻兼寝坊魔の私の不摂生を正すため、必ず決まって8:10に住宅地を抜けた電信柱で私に朝電をくれるのだ。
「ごめん眠たくて」
「また夜更かしした? 昨日何時に寝たんだよ」
「えっとね、4時」
「それさっきだな」
「颯くんは?」
「俺は22時」
「…うちの弟もそれより一時間遅くまで起きてるよ」
「8時間寝ないと身体動かないんだよなー」
へー、それって、瑠璃さんとあれこれするための活力かい? それってそれって、私以外の誰かに向ける体力かい。そんなやさぐれた言葉たちを笑いながら心の中で呟くのが、いっそ全部知られればいい。知って、驚いて、それで私が「え、どうしたの颯くん」って笑うのを、青ざめて気に病めばいいのにさ。
青年漫画みたいなそんな展開やってこず、あくびして実物は隣で伸びをしたりする。