誰の特別にもなれない
「いい男選びなさいってさ」
「え?」
「昨日私にお母さんが」
膝立ちになって窓の縁に両肘を置く私の、その向こう側にきみはいる。近くにあって、でも遠い。颯くん。颯くんが、私はもはやこわかった。
大好きだよ。大好きだった。大好きだった、だからこそ。そんないとも簡単に嘯いて、その顔で、他の女にたくさんキスされた口で平気に私に話しかけるのが恐かった。
「佐々山は、見る目ない」
「いやそれブーメランですけど旦那」
「俺はめちゃくちゃ見る目あるよ」
「目の前の現実を見ろ。めちゃくちゃにちゅーされてんぞ」
「誰かさんの彼氏にな」
「いやほんと」
ふははーって笑って、ある程度笑ったら虚しくて黙り込む。
それからずるずる、と座り込んで膝を立てたまま下を向く常陸の髪の毛を見ていたら、灰緑色の瞳が私を見た。
「誰かに慰めてもらわないと俺はもうだめかもしれない」
「なにそれ、新しい恋しなよ」
「そうね」
「私もする」
「ふーん」
「めっちゃ興味なさげなの何」
「いや、あるよ」
佐々山 史の新しい恋愛に乞うご期待って感じ? って笑う常陸がなんか満更でもなかったから、ちょっと笑った。次回予告みたいに新しい恋に踏み出す、そんで浮気し返して颯くんにも瑠璃さんにもおさらばしちゃおうか、ってね。
そんな度胸もないくせに私たちは妄想で夢を見る。
常陸 啓という男は、4組で、私は1組だから、常陸からコンタクトがあるまでは実のところ存在をちゃんと認識していなかった。合同体育だって4組は3組と一緒だし、ほんと廊下の隅っこと隅っこじゃ接触の機会がないのだ。
で、あの日、掃除をサボりにサボって〝今日佐々山さん一人で居残り掃除ね〟と担任に言われた日、常陸は私を見つけて放課後の教室に踏み込んだ。
あの時常陸が背負った影を、私は二度と忘れない。
後ろ暗くて。物々しくて、何かを抱えているどこも見ていない双眸が、私を見てそれでも光を取り戻した。動揺する私を見て光を取り戻したなんて、なんだかおかしな話だけど、でもそうならそれは、仕方ない。