眠れない夜をかぞえて
彼女を抱いた。

俺に抱かれながら、彼女は涙を流していた。

俺は桜庭が背負っている悲しみも一緒に抱いた。

それくらいの覚悟がなければ、彼女と付き合っていけないだろう。

俺には計り知れない悲しみを背負って今まで生きてきたのだ。全てが急に変われるわけじゃない。

ただ俺は、ぐっすり眠って欲しかった。

人気のないオフィスで過ごす桜庭との時間も好きだったが、今はただ、寝過ごして遅刻をするくらい、ぐっすり眠って欲しい。

今、俺がじっと見つめている彼女は、ちょっとやそっとじゃ起きそうもない。

きっと今は、夢も見ていないに違いない。可愛い寝息が教えてくれている。

「起きろ~」

ささやき声で言ってみる。眠っていて欲しいと言っている傍から、起きて欲しいとも願う。わがままだな。

そんな願いが通じたのか、桜庭の目が微かに動き始めた。目を開けたいような、開けたくないような、自分と必死で戦っている彼女が可愛い。

結局、目を開ける選択をした桜庭は、ゆっくりと目を開けた。

「おはよう」

寝ぼけている彼女の髪を梳き、丸く広いおでこにキスをする。

「……一ノ瀬さん……」

「ゆっくり眠れたのか?」

うんと頷いて、俺にすり寄る。細い肩が寒そうで、ブランケットをかけ直し、胸に引き寄せた。

「……私のこと……知ってますよね?」

桜庭がおもむろに話し始めた。俺に話さなくていい。

話せば辛い過去が蘇るだろう。それに、俺が知ってしまうのは二人の思い出に立ち入ってしまうようで、なんだか申し訳ない。

「彼と桜庭の思いではずっと胸に秘めておくといい。思い出は二人だけの物だから」

しかし、桜庭は俺に話がしたいようだった。二人のことを話し始めた。

ぽつぽつ話す彼女の背中が泣いているようで、俺は背中を撫でる。

告白してくれた健気な彼女を引き寄せた。

休みの間、桜庭は彼との思い出と自分を見つめていたのだろう。

長い年月、彼を思い続けた桜庭が、ここにくるまでにどれだけの思いに区切りをつけてきたのか想像も出来ない。

その思いと共に、俺は彼女を包むことを誓う。

「もう少し、眠るか?」

眠れなかった彼女に、俺が出来る最初の安らぎだ。

桜庭は、ゆっくりと目を閉じて、また可愛い寝息を立て始めた。





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