結婚ノすゝめ
「あの…」
真崎先生に、田宮さんの事を少しお伺いしようと口を開いた瞬間だと思う。
「っ!あなた、大丈夫ですか?」
「あ、ああ…」
レジデンスの入り口脇の所で、60代くらいのご夫婦らしき二人が、突然蹲み込んだ。
.男性の方は、辛そうに顔を伏せて、奥様であろう女性の方は、それを心配そうに覗き込み男性の背中を少しさすっている。
一度真崎先生と目を合わせると、二人のもとへと向かった。
「あの…どうかされましたか?」
「いえ…主人が急にしゃがみ込んでしまって…」
「いや、何。少し立ちくらみがしただけだよ。」
「でも…あなた、顔色が悪いですよ?」
本当に。辛そうな表情をしていらっしゃる。
8月に入り最初の休日の今日は、梅雨も明けて朝のニュースでも『猛暑』になると言っていた。
もしかしたら…熱中症なのでは。
「あの…病院に行かれますか?レジデンスの隣が病院なので…。あ、私、エントランスの車椅子をお借りして来ます!」
「大丈夫ですよ。そんな大袈裟な物ではないから。少し休めば何とかなるさ。」
無理やり笑顔を作って見せる男性は、どこか…雰囲気が田宮さんに似ている気がしたけれど。とにかく、今はそれどころではない。
「ダメですよ。熱中症を甘く見てはいけません!」
「美花さん。」
病院へ行こうと促そうとした私を真崎先生が制止する。
「とりあえず、車椅子をエントランスで借りてくるとして、レジデンスのラウンジで休ませていただきましょうか。ベリーズビレッジ内の病院の医師ならば、レジデンス在住の方の家には往診してくれるはずですし。」
そ、そうなんだ…と言う事は、事情を話せば住民の私の知り合いならばお医者さんが来てくれるわけだ。
「でしたら、お手間でなければ家へいらしてください。そうすればお医者さんが来るまでベッドで横になれますから。」
私のベッドで申し訳ないけれど、今日お天気が良かったから干したし、シーツや枕カバーも水洗いだけして使っていない物があるから。それで大丈夫だし…、
真崎先生にその場を預けると、一足先に部屋へと戻る。急いで冷房を入れてベッドメイクを済ませた。
遅れてくる事5分ほど、真崎先生が車椅子を押して、到着する。
立とうとした男性に駆け寄った。
「車椅子のまま入ってしまって構いません!お辛いでしょうから、そのままベッドまで行ってください。」
「でも…」
「床は後で拭けば済む事ですから。それよりも、ご主人のお体が大事です。」
躊躇した奥様にそう言って、真崎先生にそのまま入る様に「お願いします」と促す。
そこで男性が、顔を緩め、靴を脱ぐとそっと立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか…。」
「ああ、冷房の効いた所に入って来たせいかな。幾分ふらつきもなくなった気がするよ。申し訳ないが、水を一杯いただけますか。」
「はい…あの…どうぞ、お入りください。」
奥様にも入る様に促して、ソファに座っていただく。それからミネラルウォーターと共に温かなハーブティーを入れてお出しした。
「これは…」
「差し出がましい事をして申し訳ございません。いくつかのハーブをブレンドしたハーブティーです。カリウムが多い、ハイビスカスやフェンネルを使っているので、少し熱中症の対策になるかと…。」
「まあ、私、ハーブティーは大好きよ。」
奥様が目を細めて、カップを手に取る。
「良い香り」と嬉しそうに一口飲んだ。
「味も良いわね。ハーブティーに詳しいの?」
「それほどでもありませんが…」
「美花さんのご実家は、八百屋の老舗ですからね、野菜やハーブには詳しいんでしょう。」
真崎先生が、「本当に美味しいですね」とハーブティーを飲みながら、そうお二人に話す。
「まあ…そうでしたの。それは素敵。」
「は、はあ…ありがとうございます。」
…八百屋の老舗。
真崎先生、いつもそうおっしゃるけれど、本当にひいおじいちゃんの代から続いているただのしがない八百屋なんだけど。
ハーブはお母さんが好きで、店に置き始めて…私もその香りに興味があって何となく覚えただけというか…。
「お野菜の事に詳しいのかしら。」
奥様は、上品ながら聞き上手な方らしい。どこにもトゲもなく、けれど野次馬感もない。
「そうですね…子供の頃から野菜に囲まれて育ちましたので…。市場にも、畑にも仕入れのために沢山連れて行ってもらいました。」
そこで売買のやり取りの基本を学んで興味がでたからこそ、今証券会社で働けているのは間違いないし。
「…両親には感謝しています。」
奥様の雰囲気に飲まれたのだろうか、どうしてかそんな事まで話してしまう。
聞き上手…だし、その場を和ませ、相手の緊張をほぐし話をさせるのが上手い…
……待って?どこかでそんな人いた様な。