結婚ノすゝめ
「…あいつ、本当に信用できるわけ?」
武利が隣で一緒にミニクーパーを見送りながら、そう呟く。
「怪しくない?借金返すとか、S Pつけるとか…」
武利の方を向くと、武利は「ああ、親父さんに聞いた。」と私の頭にポンと掌を置く。
「美花が無理していないかって、すごく心配してた。まあ…全部うちの親父のせいだけど。本当にごめんな…。」
憂いを帯びた武利の顔。
…よくこの顔をしていたな、武利は。
八百屋の娘と魚屋の息子。お互い一人っ子で、親同士も仲良しで。自ずとよく遊んでた。
武利は、特別にクラスで目立つとか言う存在でもなかったけれど、比較的スポーツが出来て、勉強も出来て。だから、中学に入って武利は身長も伸びて、切れ長の目が顔全体を引き締める、所謂ちょっとしたイケメンに成長して…一緒に居る私はよく武利の事を好きな人から、呼び出されたり、嫌がらせをされたりと言う事もあって。武利がよくそう言うのを見つけて、怒って庇ってくれていた。
それで…その後いつも、「ごめんな」って。
私は別に構わなかった。武利とやましいことがあるわけじゃないし、幼なじみで仲が良いだけなんだからって、武利にもそう言って。
だけどその度に「そうだな」って笑いながら悲しい顔をしていたっけ。
「俺が借金返せりゃな。」
「…武利が私を嫁にしてくれるの?」
「それができるなら一番だけど。」
「お互い市場に行きたくて昔から早起きしてたしね。」
私の言葉に、武利も「だな」と笑う。
「大丈夫だよ、武利!私ね、ちゃんと幸せになるから。無理してもいないし。寧ろ…田宮さんにはたくさん感謝しているの。だから…もう、気にしないで?うちと武利の所は昔からの仲でしょ?」
「うん…まあな。」
憂いを帯びたまま、けれど穏やかに弱々しく微笑んだ武利に別れを告げて、家の中に入る。
…武利は、しばらく私たち家族に対して、浮かない顔…と言うか申し訳ないと言う顔を見せるのだろう。確かに親父さんの借金を背負わされた事は事実だけど。
そこを武利がずっと悩み苦しむのは何となく違う気がするんだよな…。
ふうと吐き出した息が、やけに安堵をまとっている気がした。
それにしても長い1日だった。
けれど、お父さんとお母さんはこれで安心だから。私は幸運を使い果たしたかもしれない位、田宮さんと出会えてラッキーだったんだと思う。
…ここからは、私がちゃんと田宮さんの役に立てる様に頑張らないと。
改めてそう誓った夜は、
「美花。いつの間にあんなに素敵な人と知り合っていたの?」
「最近は、俺たちの事で目一杯だったからな…。お前の話を聞けなくてすまなかった。」
喜び、田宮さんとの馴れ初めを聞きたがるお母さんと、「本当に感謝している」と何度も繰り返すお父さんに、嬉しいとは思いつつ、相思相愛の結婚ではないと言う事実をひた隠し、そこに罪悪感を抱きながら、過ぎていく。
中々眠れず迎えた早朝、5時。
遠くカラスの鳴く声と、夏になりきれない涼しい風が穏やかに吹く中、二階のベランダに立ったら、下に黒のミニクーパーが停まった。
「美花、迎えに来た。」
…もう?
急いで着替えて下に降りていく。
「田宮さん…ず、随分早いですね…。」
「そう?これでも遅いかもと思って少し慌ててたんだけど。」
飄々とした余裕の笑顔で、「おはよう」と私の髪にその少し丸めの指を通す。それに反応して髪が少しさらりと揺れた。
「…無事で良かった。」
「え?」
「や?こっちの話。美花、帰ろうか。ご両親にもう一度挨拶した方が良いかな。」
…まあ、朝5時は多分、二人とも起きているけれど。
何となく、他所様の家に訪問する時間では無い気がする。
セレブはそこは気にしないのかな…
「おっ!田宮さんじゃないですか!おはようございます!」
「あら、田宮さん。おはようございます。」
「おはようございます。お父さん、お母さん。美花さんを迎えに来させていただきました。」
「そうですか。ありがとうございます。美花!支度できてんのか?」
「まあまあ、お父さん。田宮さん、良かったら一緒に朝ごはん召し上がりませんか?お口に合うかわかりませんが…」
「それはありがたいです。いただきます。」
…セレブじゃ無いけれど、八百屋も早起きだから気にしなかったか。
私、会社勤めになって、時間のサイクルが変わったのね。
自分の常識だけでは物事を測ってはいけないのだと改めて反省をしながら、田宮さんを招き入れて食卓につく。
ナスのお味噌汁を啜った田宮さんが少し目を見開いた。
「…これは。とても素晴らしい味ですね。どこの料理人が出汁をとっているのですか?」
「まあ!そんな風に褒めてもらえるなんて。」
うふふと楽しそうに笑うお母さん。けれど田宮さんは真剣に「このナスも…素晴らしく美味しい。」と呟いて、あっと言うまに飲み干す。
「おかわり召し上がられますか?」
「はい、ぜひ。」
そんなに気に入ったんだ、うちのお味噌汁。
もしかして、素朴な庶民の味をあまり知らないから珍しい?
「良かったわね〜!美花!うちの味が好きだなんて。美花は私よりももっと野菜の扱いが上手ですよ?」
「そうなんですか。それは楽しみです。」
ニコニコと穏やかに応じている田宮さんに思った。
…果たしてこの人が私の手料理なんぞを食べる日が来るのだろうか、いや来ないだろうと。
そもそも、結婚と言えど、シェアハウス的なものなわけだし、生活をすり合わせるなんてことが無いだろうし…。
そう考えると、すごく淡白なものに思えて気が楽といえばそうだけれど、結婚でありながら夫婦とは違うそれに、両親への罪悪感がまたどことなく募った。
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