ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜


 その日、俺だけの『おかえりなさい』は聞けなかった。
 昼間、夏休み中の井上から連絡があって、夜に会いたいと言われた。断わろうとしたけど、なんだか落ち込んでるみたいだったし、今週は佳代ちゃんと一緒にいるはずなのにおかしいと思ったから会うことにした。
 千波さんには、仕事が終わってから電話をした。事情を話したら、是非行ってきてと言われた。
 『おかえりなさい』の代わりに『お疲れ様』は聞けたから、まあよしとする。



「で、本田さんは明日から出られるの?」
「うん、もうすっかり元気そうだった」
「良かったね。須藤も安心だ」
「まあ……そっちはどうしたの。佳代ちゃんとずっと一緒って言ってなかった?」
 井上は、ずうん、と暗い顔になった。
「今日は、女子会だから付いてくるなって言われたんだ」
「ああ……なるほど」
「だから、せめて少しでも近くにいたいから、こっちに来たんだよ。迎えに行くって言ったら、今日は友達の家に泊まるから明日連絡するねって……」
 佳代ちゃんがいる店は、俺達が今いる店と同じビルに入っている、おしゃれな洋風創作料理店だった。俺達は別の居酒屋に入っている。
 会社の近くにあるビルだったので、俺が呼び出されたと思ったんだけど、それだけではないようだ。何か聞きたいことがあるらしい。
「で、なんでそんな暗い顔なの?」
 聞いてあげたら、井上は更に暗い顔になる。
「佳代ちゃんに、重いって言われた……」
 再びずうんと落ち込んでいる。
「帰国して、実家に戻るまで1週間、ずっと一緒にいようねって言ってたのは佳代ちゃんの方なのに……」
 井上達の実家は、電車で2時間ほどの少し離れたところにある。佳代ちゃんは、一旦実家に戻って、またこっちに出て来て就職しようとしているんだそうだ。
「今までの分を埋めようと思って、デートの計画とかいろいろしてたのに。なんでこうなるのか……」
 可哀想なくらい落ち込んでいる。
 詳しく話を聞くと、井上は佳代ちゃんが帰国してから、本当にずうっとべったり一緒にいたらしい。トイレと風呂以外は、何をするにも一緒で、風呂も一緒に入ろうとしたら、さすがに怒られたそうだ。
「それは……、佳代ちゃんも息が詰まっちゃうんじゃ……」
 俺がそう言うと、井上は悲痛な声を上げた。
「だって1年以上も会ってなかったんだんだよ。須藤が本田さんと1年以上会ってなくて、久しぶりに会えたらどうする?」
「あー……」
 確かに、同じ状態になりそうだ。
 2日会えてない今だって、そうなりそうなのに。
「わかるでしょ?」
「……わかるけど……、ごめん、今は自分のことじゃないから、佳代ちゃんの気持ちもわかる」
 ってことは、千波さんも佳代ちゃんと同じ気持ちになるかも、ってことか。
 気を付けないとな。重いって言われるのは俺も勘弁だ。
「でも、須藤達だって、朝から晩までずっと一緒じゃんか。同じ状態だよね?」
「同じじゃないよ。仕事の時は一応切り替えてるし、べったりなんかしてないし」
 べったりしてるのは寝る時だけだ。……と思う。
「でも週末は一緒にいるんでしょ?」
「いるけど、本田さんは忙しいから土曜出勤もするし、そしたら1日も一緒にいないよ」
 週末から月曜の朝まで一緒にいるようになったのは、つい最近のことだ。
「そっか……須藤なら同じだから解決策を知ってるかと思ったのに」
 解決策って。少し別行動すればいいだけじゃないのか?
「そういうのは……2人のことだから、誰かに聞いても参考にしかならないよ」
「そりゃそうだけど……」
「嫌われたくないなら、一度は佳代ちゃんの言う通りにしてみたら」
「してる、今」
「そしたら、どうだったかがわかるんだから、佳代ちゃんは佳代ちゃんでどうだったか聞いてみて、そんですり合わせていけばいいんだよ」
 井上が、ちょっと驚いて俺を見ている。
「須藤、本田さんの前でもそんなに冷静なの?」
「えっ?」
「仕事してるみたい。顔はあんなにデレデレしてるのに、頭の中は冷静なんだ」
「デレデレって、なんだよ」
「何って、そのまんまだよ。よく中村さんに『顔に締まりがない』って言われてるじゃん」
「ああそうか……いや、俺の顔のことはいいから。とにかく、2人で思ったことをちゃんと話し合って、どうするか決めなってことだよ」
「なんだよ、優等生な回答」
「俺、優等生だったから」
「そう言ってるけど、実際できんの?目の前にいたら、ずっとべったり一緒にいたくなるんじゃないの?」
 多分そうだ。千波さんを抱き抱えて、ずっとくっついているに違いない。今だってそうしたい。
「そりゃそうだけど……でも、今だけじゃなくて、この先もずっと一緒にいたいんなら、ちゃんと話さないと。あ、ていうか、ちゃんと付き合うことになったの?」
「え?」
 確か、佳代ちゃんが帰国したら付き合うっていう約束をしている、はずだったけど。
「帰国したら付き合うことになってたんだよね?付き合ってってちゃんと言った?」
 井上はぽかんとしている。
「言わなきゃ駄目だった?」
「当たり前だろ、何言ってんだよ」
「だって、帰ってきたらって約束だったし、もうそういうつもりでいろいろしちゃったし……」
 井上はごにょごにょ言いながら、顔を赤くした。
 いろいろって。そうか、初めてだよな、おめでとう井上。高校から佳代ちゃん一筋で、ずっとアピールしてて、やっとOKもらったのは、佳代ちゃんが留学に出発する時に空港で、だったもんな。それからずっと待ってたんだもんな。
「でも、ちゃんと言わないと」
「えー……須藤は言ったの?」
「だから俺のことはいいから」
「聞かせろよー」
「……言ったよ。返事もちゃんともらったよ」
「へー」
 ニマニマして見られる。
 だから、俺の話じゃないんだっつうの。
「ちゃんと言わないと、相手も不安になるし、自分も不安だろ?」
「でもさ、改めて言うの恥ずかしくない?」
「そんなこと言ってられなかった」
 そう、あれを逃したら、久保田に奪られてしまうところだったんだから。
「そうか……だから本田さんて、あんな幸せそうなんだなー……」
 井上がしみじみ呟く。
 幸せそう?千波さんが?
 端からみてもそう見えるんなら、凄く嬉しい。
「須藤が不安にさせないように、他のことでも気を遣ってんだな、きっと」
 うんうん、と1人で納得している。
「安心できるから、あの笑顔か……俺も頑張ろうかな」
「頑張れよ。佳代ちゃん可愛いから、新しい職場とかで狙われるよ」
「そうなんだよ、俺それも心配でさー」
 井上が、佳代ちゃんがどれだけ可愛いかを力説し出した。
 俺はそれを聞きながら、千波さんに会いたいと思っていた。


 井上と別れて、電車に乗る。
 気付かないうちに、千波さんからメッセージが来ていた。

 ーーーまだ飲んでる?

 10分前だ。
 急いで返事を返す。

 ーーー今、電車に乗った

 ーーーお疲れ様。井上君、大丈夫になった?

 ーーー元気に帰ってったよ。

 ーーーなら良かった。後で詳しく聞かせてね。

 ーーーうん。
 ーーー体調はどう?

 ーーー大丈夫だよ。明日はちゃんと仕事するから。
 ーーー気をつけて帰ってね。また明日。

 ーーーうん。
 ーーーおやすみ。

 ーーーおやすみなさい

 珍しくスタンプが送られてきた。
 犬が布団に入って眠ってるやつだ。
 俺も、文字だけの『おやすみ』スタンプを送って、今日はおしまい。
 千波さんは、きっともうベッドの中だろうな。

 早く会いたい。
 会って、抱きしめて、頭をなでて、キスをして。
 考えてたらきりがない。

 明日の朝、会社で会って、思わずかぶりつかないように気をつけよう。

 そう思いながら、家に帰った。



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