ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜
「そんなんで満足できんの?」
西谷さんが言った。
仕事帰りに居酒屋に寄っている。
俺と、西谷さんと、井上君と、小田島さん。村田さんは遅れて来るらしい。
「俺もそう思います」
井上君が言う。隣で小田島さんが大きく頷いている。
「でも、相手は既婚者だから、そうするしかないんだって。だから合コンとか婚活パーティーとかに参加しまくって早く他に好きな人を作るんだって言ってて、俺にも付き合えってうるさいんですよ」
井上君の高校の先輩が、既婚女性を好きになってしまったんだそうだ。
どうすることもできなくて、今は、見ているだけ、好きでいるだけ、というどこかで聞いたような状況らしい。
相手の家庭を壊す気もないし、幸せでいてほしい。だから、早くあきらめようと頑張っているんだそうだ。
俺も、そうしないといけないんだろうか。
好きな人には幸せでいてほしい。
その幸せの中にいるのが、自分じゃなくても。
それで、満足できるんだろうか。
「まあ、でも、他に相手を捜すのが1番いいんじゃないか?そっちの相手と満足できればいい訳だろ?」
小田島さんが、唐揚げを丸ごと口に入れて、もごもご言う。
「少しくらい付き合ってやれよ」
「嫌ですよ。俺には佳代ちゃんがいるんですから」
佳代ちゃん、とは井上君の好きな人で、高校の同級生なんだそうだ。
今カナダに留学中で、帰ってきたら付き合う約束をしているらしい。
「はいはい、佳代ちゃんは幸せだねー、一途な彼氏予約済みで」
「あーうらやましい。小田島さん、誰か紹介してくださいよ」
「俺にそういうのは期待すんな。営業に言え」
西谷さんは、学生の時に付き合っていた人と就職してから別れてしまい、それから彼女はいないらしい。
「大体、西谷は人見知りなんだろー?紹介じゃ駄目じゃんか。合コン苦手なんだし」
「複数いる中から選んだり選ばれたりっていうのが嫌なんですよ。マンツーマンなら大丈夫です」
「人を頼るな、自力で捜せ」
小田島さんが冷たく言い放ったところに、村田さんが顔を出した。
「ごめん、遅くなった」
「おーお疲れ」
村田さんは6月に娘さんが生まれた。今は奥さんの実家にいて、夏休み中に迎えに行って来るらしい。
奥さんと娘さんが帰ってきたら、しばらくは気軽に飲みに行けなくなるから、今日は飲もうということになったのだ。
毎日奥さんから送られてくる娘さんの写真を眺めてニヤニヤしているのを、しょっちゅう見かける。
「なんの話?」
ビールを頼んで、俺の隣に座る。
小田島さんが答えた。
「西谷が誰か紹介しろって」
「えー小田島に言っちゃ駄目だよ。人より自分のことをなんとかさせないと」
「村田、うるさい」
「そっちのチームにはいるじゃん、華が。2人も」
なあ、と村田さんは井上君に言う。
井上君は大きく頷いた。
「本田さん、いいじゃないですか」
井上君は、本田さんに憧れているらしい。
「本田?本田か……」
小田島さんがちょっと遠い目で天井を仰ぐ。
降ろした視線と、俺の目が合った。
小田島さんは、ニヤッと口角を上げる。
「須藤は、本田だろ」
「……は……」
あまりに突然で、吐いた息は返事にもならない。
みんなが驚いて俺を見て、俺は頭の中が真っ白になった。
なんで。
バレてた?
小田島さんは、固まった俺を見て、ゲラゲラ笑い始めた。
「ごめん冗談」
みんなが『なあんだ』という顔になる。
俺も、同じだった。
冗談にしてはタイミングが良過ぎて、心臓が止まるかと思った。
「俺と本田は、そういうの無し」
「そうなんですか?」
井上君が聞く。
「無いなー。井上は知らないと思うけど、あいつほんわかしてるけど、中身はよく切れるカミソリなんだぞ」
「カミソリ?」
「そう。ほんわかしゃべってると思ったら、知らないうちに切られてる。しかもよく切れるカミソリだからな、じわじわ来るんだ、じわじわ。痛みに気付いた頃には血まみれ」
真っ赤に染まって倒れている小田島さんを想像する。
「もし付き合ったりしたら、デートの度に血まみれだぞ。嫌だろ、そんなの」
井上君は信用してないようだ。
「なに言ってるんですか小田島さん。そんな訳ないでしょ」
笑う井上君の肩を、西谷さんがガシッと押さえる。
「井上君、今の話は本当だよ」
「えっ⁈」
「俺も何度血まみれになったことか……それなら、外側だけがトゲトゲしい中村さんの方がまだましだよ」
「お前らひどい言いようだな。本田さんが可哀想だろ」
村田さんが苦笑する。
「まあ、ほんとのことだけど」
「えっ⁈」
驚く井上君に、西谷さんが続ける。
「悪い事は言わない。幻想は捨てるんだ」
「えっ、え……」
井上君は、救いを求めて俺を見る。
「……え、ごめん、よくわかんない」
俺がそう言うと、井上君の目がうるうるし出した。
俺には、本田さんは可愛くしか見えてない。
でもそういえば。
無口で無表情だとか、わかりにくいとか、割と本人に伝えにくいことを正面からはっきりと言われていた気がする。
あれがカミソリの片鱗なら、小田島さんの言う通りかもしれない。
「大体なあ」
小田島さんがビールを飲んで話し出す。
なんだか、珍しくちょっと酔っているみたいだ。
「あの大人しそうな外見と、ほんわかしたしゃべり方で、中身も優しいなんて、天使になっちゃうだろ」
俺にとっては天使なんだけど。
「ずっと仕事ばっかしてんだぞ。いろんなクライアントを相手にして、指名まで取ってくるんだ。優しいだけだなんてあり得ねーよ」
確かにそうかもしれない。
中村さんに仕事を教えている時も、口調は柔らかいけど内容はストレートでキツい、ということは多々ある。
「ああそうだ、本田がどんなやつかわかるちょうどいい話があるぞ。須藤を狙ってる総務の子、いるだろ」
小田島さんがニヤッとする。
「あの子を『キラキラ女子』と命名したのは、本田だ」
「えっ⁈」
「……小田島さんだと思ってました」
井上君が驚き、俺はぽかんとする。
「なかなかブラックだなあ、本田さん」
村田さんが笑っている。
西谷さんは、井上君をなぐさめるように肩をポンポンとたたいた。
「自分ではそれをブラックだと思ってないからね、本田さんは」
小田島さんが話し出す。
「4月の終わり頃だったか、須藤のことをいろいろ聞かれて」
「え?」
「ほら、前に言ってただろ。隣の席だからいろいろ聞かれるって」
そうだ。面倒くさいよな、って申し訳なくなったんだ。
「忙しい時に呼び止められて、イラついたんだろうな。『仕事しろ、キラキラ女子』ってぶつぶつ言ってた」
村田さんと西谷さんがゲラゲラ笑い出す。
井上君は、呆然としている。
俺は、また申し訳なく思っていた。
そうしたら、小田島さんが俺の顔からそれを読んだように言う。
「須藤は気にしなくていいんだぞ。本田はな、よく知らない人にはいい人に見えるから、いろんなことを聞かれるのはしょっちゅうなんだ。聞きやすいんだろうな」
「俺もいろいろ聞いてました……迷惑だったでしょうか……」
井上君の顔が青くなっている。
「井上は大丈夫だろ。今年のシステム課の新人はみんないい子だって言ってたから。あいつにしては珍しく人見知りしなかったしな」
「そうですね、中村さんがいたからかな。去年とは大分違ってて」
西谷さんが拗ね気味に言う。
「言っとくけど、西谷はまだいい方なんだぞ。6月入る前には普通に話せてただろ」
「そう……ですね。もう半袖だねっていう話はしましたよ」
「天気の話ができたら普通になった証拠だ。ほら1ヶ月くらいだろ」
自分の時はどうだったか……最初から普通にいろいろ話してた気がする。
「かかる時はもっとかかるから」
「じゃあ俺も大丈夫だったんですね」
井上君がホッとしている。
「本田さんは、別に嫌な人じゃないんだよ。むしろいつも穏やかだし、にこにこしてるし、気がきくし。裏表はないし。ただ、辛辣なところがあるってだけで」
村田さんはフォローになってるのかなってないのか……本人が聞いたらむくれそうだ。
西谷さんが続ける。
「そうそう。いい人には違いないんだから。でも、ただの優しいお姉さんじゃないぞ、ってことは覚えておいた方がいいよ」
「はあ……」
井上君は、すっかりしょげてしまった。
その後、みんなで井上君を励まし、佳代ちゃんの話を聞き出し、西谷さんがやさぐれたところでお開きになった。