ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜
8. 11月
隆春
気温が下がって、そろそろ暖房の準備をしたいと思っていた頃だった。
マスクをして出社した本田さんが、午後になって咳をしていた。喉が辛そうだ。
「あ……」
鞄の中を見ていた本田さんが、凄く小さな声で呟いた。
俺は、自分の鞄から、のど飴を出した。
「どうぞ」
本田さんは、驚いている。
「え、なんで?」
「なんでって。のど飴なくなったんですよね?」
本田さんは、昨日からずっとのど飴を口に入れていた。なくなったら次のを入れて、またなくなったら次、っていう風に。
「あはは、見てたの?恥ずかし〜」
「全部あげます」
のど飴の袋を差し出す。
昨日の本田さんの様子から、もしかしてこんな事態が起きるかも、と思って、同じ銘柄ののど飴を用意したのだ。
俺が普段から食べているように見せるために、一旦開けて、一つ食べた。薬草の香りがして、効き目はありそうだった。
「須藤君の分がなくなっちゃうよ」
「必要なら言いますから、その時はください。でも今のところ大丈夫なんで、気にしないで食べちゃっていいですよ」
「ありがと。じゃあ遠慮なくもらうね」
早速一つ口に入れる。声はガラガラだし、大分辛いんじゃないだろうか。
「風邪ですか?」
「多分ね」
「辛いんなら早めに帰った方が……」
「千波先輩、しょうが紅茶です。恭子さんからもらってきました」
中村さんが、湯気の立ったマグカップを持って、俺と本田さんの間を遮るように入ってきた。
「え、美里ちゃん経理行ってくれたの?わざわざありがとう」
「恭子さんが、早く帰れ、辛かったら電話しろ、だそうです」
「はは、はいはい」
幸い仕事は一段落している。今日は俺も定時で帰れそうだと思っていたところだった。
「本田、帰っていいよ。熱出たら明日は休んで。今週は休んでも平気だから」
磯貝さんが、デスクの向こうから言ってきた。
「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」
本田さんは帰り支度をしながら、ゆっくりとしょうが紅茶を飲んでいる。
小田島さんが、外出から帰ってきた。
「なに本田、もう帰んの?」
本田さんが頷く。
「いつものやつ?明日休みか?」
「さあ、わかりませんけど、そんな気配もします」
「無理すんなよ」
「ありがとうございます」
勝手知ったるような物言いだ。
俺の視線に気が付いたのか、小田島さんが本田さんを指差す。
「この人、年に2・3回は熱出してぶっ倒れんの」
「ぶっ倒れてません。人聞きの悪い」
本田さんがふくれて反論する。
「恒例行事みたいなもんだよな」
「勝手に恒例にしないでください」
「喉が弱いんだってさ〜」
小田島さんは「トイレ行ってくるわ」と言いながら俺の肩をポンと叩いて去って行った。さりげなく教えてくれているらしい。
「千波先輩、なにかあったら連絡してくださいね。すぐ行きますから」
中村さんが心配そうに言う。
「うん、ありがとね。でも大丈夫だよ。慣れてるし」
「でも千波先輩一人暮らしだし、心配です」
「一人暮らしも長いから、慣れてるよ」
しょうが紅茶を飲み終わって、本田さんは立ち上がった。
「じゃあお先に失礼します。経理に寄って帰ります」
みんな口々にお疲れ様と言って送り出す。
本田さんは、マグカップと自分の鞄を持って出て行った。心なしか、ふらふらしている。
入れ違いに、小田島さんが戻ってきた。
「あれは明日休みだな。下手したら明後日も」
「そうなんですか?」
「毎回同じパターンだから。いくら気を付けててもああなるんだってさ」
「扁桃腺が大きいって言ってましたよね」
西谷さんが思い出したように言う。
なるほど、それで高熱か。
お見舞いに、なんて行けないな。マンションは知ってるけど、部屋がどこか知らないし、ただの後輩が押しかける訳にはいかない。
せめて。
家が近いんだし、なにかあったら頼ってください、とメッセージを送った。
ありがとう、という返事が帰ってきた。でもきっと、頼ってはくれないだろう。
本田さんは、簡単に人を頼るようなことはしない。
仕事上、頼らざるを得ない時や頼った方がいい時は素直に助けを求めるけど、それ以外、特にプライベートなことに関しては、滅多に他人をアテにしない。
俺が、家まで送るのも、最初は嫌がってるのかと思うくらい断っていた。今でこそなにも言わなくなったけど、それまでは断られ続けていて、くじけないようにするのが大変だった。多少強引にして、やっと送るのが当然になったのだ。
そんな人が、病気だよ辛いよ、なんて頼ってくれる訳がない。
俺は、心配しかできない、か……。
落ち込んで。
でも万が一、本田さんから連絡がきたらすぐ行けるように、酒は飲まなかった。
当然だけど、連絡は来なかった。
結局、本田さんは熱が出たらしく、2日休んで、マスクをして出社した。
大分元気になっているみたいで、マスク以外はいつも通り。でも咳はしている。
俺は、近所のドラッグストアで見つけた、はちみつを飴みたいな形に固めたものを、本田さんに渡した。お見舞いです、と言って。
本田さんは初めて見るらしく、凄く喜んで受け取ってくれた。すぐに口に入れて「おいしい」とはしゃいでいる。
マスクで隠れているけど、その笑顔に癒された。