ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜
「ああ、唯一の例外はいたわね」
「ケンさんは、別格だから」
ケンさんは、実家で飼っている犬だ。雑種だけど大型の、もふっとした、優しい顔と気質を持つハンサム犬だ。
私が帰省すると、いつも側にいて癒してくれる。子犬の時からずっとそう。
姉しかいない私には、ずっと欲しかった兄のように感じられて、なんとなくさん付けで呼んでいる。
ケンさんは、寝る時に側にいてもなんともない。むしろ、あったかいし、ぽわんとしたオーラが出ていて、よく眠れるのだ。
犬だから、人間とはまた違うのかもしれないけど。
実は、こっそり、須藤君はケンさんに似ている、と思っていた。
背が高くて、優しい顔立ち。穏やかな雰囲気で、周りを優しくする。無口で無表情でクールって言われてるけど、そんなことないと思う。
須藤君の近くにいると、ケンさんと同じオーラを感じる。
さすがに会社で眠ることはないけど、残業して家まで送ってもらった時なんかに隣にいると、仕事の疲れも手伝って眠くなってくる。
仕事で気分が殺気立っている時も、須藤君がいるだけで落ち着くことができる。
私にとって、癒しの存在。
配属初日。隣にいても嫌な感じがしなくて、ラッキーだと思っていた。
結構な人見知りの私は、いつも新人さんが配属されると構えてしまってつれない対応になってしまう。
でも、彼は違った。
ずっと一緒にいたような、そんな錯覚をしてしまう雰囲気だから、つい話しかけてしまう。
新人さん達を定時で帰した後、チームリーダーの磯貝さんに「前から知り合い?」と聞かれて、その時気が付いた。
自然に接することができる人。
どこかで感じたことのある雰囲気。
すぐにわかった。ケンさんといる時と同じだった。
飼い犬と後輩を一緒にするのもどうかと思ったけど、他にいないからしょうがない。
気付いてからは、安心しかなかった。
姿を見ると、ホッとする。
話をすると、落ち着く。
勝手に、精神安定剤のように思っていた。
その安定剤の作用が、こんな風に発揮されるとは。
「ぐっすり眠れたんでしょ?人んちなのに」
「うん、気持ち良かった」
「須藤君がいたから、でしょ」
「さあ……それはよくわかんない」
恭子はニヤニヤしたままだ。
「……何が言いたいの」
随分含みのある顔だ。
「千波は、須藤君には全然警戒しないのね。珍しいと思って」
「……」
本当だ。だって警戒する必要なんてない。癒されるんだし。
「さっき、ケンさんは別格って言ってたけど、須藤君もそうなんじゃないの?」
「……えっ……」
確かに、似てるけど。
一緒にいる感覚は、同じだけど。
「千波ちゃん、スープどうぞ」
筒井さんが、私の前に野菜スープを置いた。コンソメ仕立てで、いい香りがする。
「ありがとうございます」
スープの香りで、お腹も空いていたことがわかる。
「僕にもそう見えるよ」
更にトーストを置きながら、筒井さんがにこにこしている。
「須藤君といる時の千波ちゃん、大分リラックスしてて、いい顔で笑うんだよね」
「……そう、ですか?」
「うん。それにね、須藤君もそう」
須藤君も?って、どういうこと?
「須藤君も、千波ちゃんといる時は、凄くいい顔で笑うんだよ。知ってた?」
そんなの知らない。
私は、首を横に振った。
「無口で無表情って言われてるけど、千波ちゃんにはそんなことないみたいだよね」
「え、でも、私だけじゃなくて、チームの人とか、仲いい人には、ちゃんと笑ってますよ?」
「うん、知ってるよ。でも、千波ちゃんにはまた違う顔なんだよね」
違うって……そうなの?
「千波ちゃんといる時はさ、なんていうか……ほわほわ〜ってさ」
「カズ、それじゃあわかんないよ」
「じゃあ恭子が言ってみてよ」
「んー……」
恭子は目だけを上に向けて、考えている。
「緊張してない、とか。安心してる、とか」
「ああ、そうそれ。それでね、凄く優しい顔になるんだよ」
そう言ってる筒井さんも、にこにこして優しい顔だ。
気の強い恭子が、筒井さんの前では素直になれるのは、この笑顔のおかげだと思う。
「2人して優しい顔だから、見てるこっちもなんか幸せ気分になるんだよね」
そんな風に見えるの?須藤君と私が?
なんだか恥ずかしくなってしまう。
恭子が、私の顔を覗くように見る。
「千波があんな風に男の人に笑うの、初めて見た」
恭子と目を合わせる。
「須藤君も、別格なんじゃないの?」
別格。
須藤君が?
恭子の言葉が頭の中に響く。
別格って、どういうこと?
自分で言ったくせに、意味を考える。
ケンさんならわかる。
飼い犬で、家族。
他人とは比べようがない。
じゃあ須藤君は?須藤君が別格って、それならその存在は一体何?
須藤君は、他人だ。
他人の、別格の存在。
「須藤君が別格なら、なんになるの?」
疑問が、そのまま口に出た。
「は?」
恭子がぽかんとしている。
筒井さんは、目を丸くして私を見ている。
「千波ちゃん、ごめん。それどういう意味?」
聞きながら、恭子の隣に座る。
私は、自分でもよくわからないまま、口を開いた。
「あの、すみません、私もよくわからないんですけど……須藤君が別格なら、私にとって何になるんだろうって。ケンさんは家族だけど、須藤君は家族じゃないし」
目の前の夫婦は、更にぽかんとしている。
私も、自分が何を話しているのか、よくわからない。
「確かに、須藤君は他の人とはちょっと違ってて、近くにいても嫌な感じは全然しないし、むしろ居心地いいし、安心できるし、落ち着くし。でもケンさんと違って家族じゃないし、じゃあ、なんなんだろって」
一瞬の間の後。
筒井さんが吹き出し、恭子は笑い始めた。
どうして笑われているのか、わからなかった。
笑いながら恭子が言う。
「なんなんだろねーわかんないねー」
「ちょっと。馬鹿にしてる?」
「してないよ」
「じゃあなんで笑うの。もう、筒井さんまで」
筒井さんは、お腹を押さえてクックッと笑っている。
「ごめんごめん、ちょっと、可愛くて」
「可愛い?」
「そう」
夫婦は、まだそれぞれに笑っている。
なんなの、もう。
恭子が目尻の涙を拭っている。
「答え、知りたい?」
「……恭子は、知ってるの?」
「答えは、千波しか知らないの。答えを出す方法は、わかるかも?」
「かも?」
「方法はいくつもあるのよ」
「……」
なんだかよくわからない。
「千波ちゃん、1番簡単な方法を教えてあげるよ」
筒井さんも、目尻に涙をためている。
「須藤君の近くにいてごらん」
「……え?」
きっと、私は今、目が点になっているに違いない。
「須藤君の側にいたら、わかると思うよ」
筒井さんはにっこり笑う。
恭子を見たら、頷いている。
よくわからないけど、確実にわかることがある。
この夫婦は、私にとって悪いことは、決して言わない。
なら、言う通りに……してみる?
でも、近くにいるって……側にいるって……。
今でも、十分近くにいるんだけど。
これ以上近くには寄れないんだけど。
一体、どうしたらいいんだろう。
私は、悩みながら、週末を過ごした。