ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜
隆春
「どうぞ」
ドアの前。
いつもはここまでで、千波さんを中に入れて帰る。
でも今日は。
「お邪魔します」
また一歩、進めた。
目の前で靴を脱いでいる千波さんを抱きしめたい衝動に駆られるけど、それは押さえた。
今抱きしめたら、確実に止まらなくなる。ワインとかスパゲッティとか、全部ふっ飛んでいきそうだ。
須藤君は紳士、と自分に言い聞かせる。
「ごめんね、狭いんだけど」
「いえ、家より広いです」
玄関から続く廊下。左右にドアが一つずつ。
真正面にもドアがある。
千波さんは、右側のドアを開けた。
「ここ、洗面所。お先にどうぞ」
「じゃあお借りします」
外から帰ったら手を洗う。そういう細かいところが一緒なのも嬉しい。
千波さんも手を洗って、真正面のドアを開ける。
広めのワンルーム。
入って左側にキッチン。家具は明るめの木目。統一されてる訳じゃないけど、ごちゃごちゃはしていない。落ち着けそうな部屋。
一番奥にベッド。上に、ケンさんみたいな犬のぬいぐるみがある。でかい。長い。
思わずそいつをじっと見てしまう。
千波さんが笑う。
「それ、抱き枕なの。肌触りいいんだよ」
「ケンさんに似てますね」
「でしょ?一目惚れして、即買いだった」
えへへ、と笑いながら、買ってきた物を冷蔵庫に入れている。
「それより須藤君」
「はい」
「口調。またですますになってる」
「あ……」
そうだった。忘れてた。
「すいま……じゃない、ごめん」
「よろしい」
千波さんが満足げに頷く。
目が合って、2人で笑い合う。
「すぐ作る?ちょっと休む?ビール飲む?」
「腹減ったから、すぐ作る。本田さんはビール飲むでしょ?座ってていいよ」
「オテツダイシマスヨ」
「棒読みだ」
あはは、と笑った。
千波さんも笑う。
「冗談だよ。ちゃんと手伝うよ」
「じゃあ、グラスとお皿の準備して」
「はーい」
幸せをかみしめながら、カルボナーラの準備をする。
千波さんが、家に呼んでくれた。
思ってもみないことで、嬉しすぎて叫び出しそうだった。
真っ赤な顔で、もじもじして。その場でかぶりつきたいくらい、千波さんは可愛かった。
さすがに人目があるので、叫んだりかぶりつく訳にはいかない。
須藤君は紳士、と自分に言い聞かせて、なんとか落ち着いた。
『須藤君は紳士』は、まるで呪文だ。
千波さんと俺がめでたく付き合い出してすぐ、仕事が急に忙しくなって、残業続きになった。
家まで送り届けて、キスをして、抱きしめて。
本当は、そのままその先に進みたいけど、須藤君は紳士、と自分に言い聞かせて我慢していた。
千波さんは俺よりも忙しい。終わる時間は俺よりも遅いし、俺が出勤しない土曜日も出ていたりする。
日を追うごとに疲れてきているのがわかって、なにかしてあげたかった。
でも、仕事は手伝えないことが多いし、俺にできることは、千波さんの好きな物を差し入れすることと、なるべく休ませてあげることしかなかった。
本当はデートとかしたいし、もっと一緒にいたいけど、我慢した。
ある日、いつものように家に送り届けて、そのまま帰ろうとしたら、千波さんが淋しそうに繋いだ手を離さない。
それが可愛くて、我慢できなくて抱きしめたら「落ち着く」とぽそっと言った。
結局その日もキスをしてしまったけど、軽くにして、須藤君は紳士、と唱えながら帰った。
ハグはストレス解消にいい、というネットの記事を見つけたのもあって、自分の中で勝手に、ハグとキスはいいことにした。
その先に進むのは、後でもいい。
筒井さんと小田島さんから得た情報を合わせると、どうやら千波さんはそっちの経験はほとんどないと思っていいらしく、少ない経験の中にあまりいい記憶もないらしい。
落ち着いた環境で、ゆっくりできる時に、リラックスしてもらって、できれば気持ち良くなってもらいたい。
そう思って、自分の中の衝動を抑えていたのだけど。
家に呼ぶ。しかも、アルコール付き。
どうしたって期待してしまう。
キスの先に、進んでもいいんだろうか。
千波さんと付き合うことになってから、鞄の中に、いつそういうことになってもいいように準備はしてあった。だから今日も大丈夫なんだけど……。
いや、でも、駄目だった時のことを考えたら、期待はしない方がいい。
千波さんの様子を伺いながら、駄目なら潔く帰ろう。
そう思いながら、カルボナーラを作った。