ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜


 次の日。
「本田さん、これ見てもらえますか?」
 斜め後ろから声がして、ビクッと体が震えた。
 恐る恐る振り向くと、目を丸くした久保田君がいた。
「すいません、驚かせましたか?」
「あ……ごめんなさい、集中してた」
 半分は本当。もう半分はビビってしまった。
「すいません、これなんですけど」
 久保田君が資料を出す。
 話が始まれば、なんとなく大丈夫。最近は笑顔も出せるようになってきたのだ。頑張れ私。
 話が終わると、久保田君が私のデスクの隅を見て言った。
「あ、これ、須藤さんですね」
 指差す先には、カフェオレとチョコレート。
 はるちゃんが、出かける前に置いて行ったものだ。
 昨日の帰りに、今日のことを話したら「頑張って」と言って、くれたのだった。
 思い出して、顔が熱くなってしまった。
「そう……はい、一つあげるよ。もうちょっとで今の仕事終わりだもんね。頑張って」
 チョコは個包装の小さな板チョコ。一つ取り出して、久保田君の手に乗せた。
「ありがとうございます。でも須藤さんには内緒にしてくださいね。もらったのバレたら殺されそう。今は、中村さんの視線で殺されそうですけど」
 久保田君は、にこにこ笑ってなかなかのことを言う。
 振り向くと、美里ちゃんが凄い目で久保田君をにらんでいた。
「み、美里ちゃんにもあげるよ。はい」
 美里ちゃんもチョコをあげる。美里ちゃんは、受け取ってうーんとうなった。
「須藤が千波先輩にあげた、と思うと複雑……」
 美里ちゃんは、相変わらずはるちゃんには手厳しい。
「須藤さんの愛情が一つ無駄になる、と思って食べるのはどうですか?」
 久保田君を振り向くと、綺麗な顔でにこにこ笑っていた。ああ、はるちゃんが「腹黒」って言ってたのはこういうことか。
「なかなかいいこと言うね、久保田君」
 美里ちゃんがニヤッと笑って、チョコを口に入れた。
 2人が黒く微笑み合っている。
 挟まれた私はどうしたらいいものか。曖昧に笑ってごまかした。

 これがきっかけになったのか、久保田君の本性を実感したからか、必要以上に構えることはなくなった。
 普通に話すことができるようになって、久保田君も楽になったみたいだし、私もホッとした。
 美里ちゃんも、腹黒路線で話が合ったようで、今までのように毛嫌いすることはなくなった。
 お昼ご飯は3人で食べに行って、夕方にはすっかり打ち解けていた。話題が主にはるちゃんのことで、私はどう反応していいのかわからない時もあったけど、仲良くなれたのが嬉しかった。

「須藤さん、弟さんがいるんですか」
 フロアの中央、ミーティング用のテーブルで、来週の会議用の資料を作る。今回は資料を印刷して配るので、一枚ずつ並べて取って行って、クリップでまとめる作業を、私と久保田君でしている。
「うん、確か、3つ下って言ってたかな」
「お兄さんなんですね。確かに面倒見いいですもんね。見守り型だし」
「見守り型?」
「よく、本田さんのことを見守ってますよね」
「え……?」
「やさしーい目で、あー好きなんだなーって、よーくわかります。あんな目で見られたーいって、女の子達がよく言ってますよ」
 恭子が言ってた『羨望の的』ってやつだ。また言われた。
 恥ずかしい。顔が熱くなる。
 でも、嬉しい。私も、筒井さんが恭子を見てるのを見て、同じことを思ってた。
 そうか、今は、私がそう思われてるんだ。
 嬉しい気持ちを素直に出す訳にもいかず、ごまかすために、久保田君に話を振る。
「久保田君は、兄弟は?」
「僕は一人っ子です」
「ああ、なんとなくわかる」
「よく言われます」
「マイペースだけど、人のことはよく見てるよね」
「周りは大人が多かったんですよ。自分に甘い顔をする大人を見付けるためには、よく見ないといけませんからね」
 久保田君は、にこっと笑った。腹黒だ。
 でも、それを隠さないのは、基本的にはいい人なのか、私を信用してくれてるのか。
「本田さんは、妹ですよね?」
「うんそう。わかるの?」
「須藤さんのあのやさしーい目を自然に受け取れるのは、兄弟の下の子じゃないとできませんよ」
「そ……そう?」
 途端に恥ずかしくなる。そうか、はるちゃんを見てるってことは、私も見えてるってことなんだよね。
「だから、みんなうらやましがるんですよ。須藤さんが優しく見守ってて、本田さんはそれをちゃんと受け取ってる。本当に幸せそうですからね」
 私は久保田君の声に違和感を感じて、彼を見た。
「うらやましいです。そんな風に思い合える人に出会えて」
 久保田君のにこにこに、腹黒じゃなくて、淋しさを感じたのは、気のせいだろうか。
 久保田君の視線が私の後方に移った。
「お疲れ様です」
 振り返ると、小田島さんとはるちゃんがいた。
「おかえりなさい」
 顔がほころんでしまう。
 でも、はるちゃんの表情は固かった。
 そのまま、ふいっとデスクに行ってしまう。

 冷たい背中。
 こんなの、初めてだった。

 どうしたらいいかわからなくて、そのまま見送る。
「すみません、フォローしておきますから」
 久保田君は、私にそう言って、できた資料を持って行った。
 私は、はるちゃんの態度も、久保田君の言ったこともよくわからずに、そこに立っていた。
 小田島さんは、苦笑している。
「久保田とは、うまくやれたか?」
「あ、はい、美里ちゃんも一緒に、仲良くなれました」
「そうか、中村もか。じゃあいい」
 ひらひらと手を振って、デスクに行ってしまった。

 もしかして、はるちゃん、怒ってた?
 久保田君の『フォロー』って、どういうこと?

 デスクに戻ると、はるちゃんと久保田君はいなかった。
 ちょっとしたら戻ってきたけど、はるちゃんの冷たい雰囲気はそのままだった。
 釈然としないまま、終業時間になった。

 時間になっても、はるちゃんは終わる気配がない。
 私はすることがなくなったので、休憩スペースにいる、とメッセージを送って移動した。
 何か飲もうかな、と思ったけど、はるちゃんがどのくらいで終わるかわからないので、座るだけにする。
 メッセージはなかなか既読にならない。
 集中してるんだなと思ってたら、返事が来た。

 ーーーあと10分で終わるから

 良かった。怒ってると思ったけど違ったみたい。
 ホッとした。

 そういえば、はるちゃんが怒ったところは見たことがない。
 ちょっとイラッとしてたのは、あの『チカンに注意!』の看板が出た時に、私が呑気なことを言ってた時くらいだっただろうか。
 仕事では冷静、他は優しい。呆れたり落ち込んだりしたのは見てるけど、怒ったことはない。
 私に見せないだけなのかな。
 怒らせたい訳じゃないけど、私に見せてくれない部分があるっていうことに、少し淋しさを感じた。

 きっちり10分で、はるちゃんは休憩スペースに迎えに来てくれた。
「お待たせ」
 いつものはるちゃんの笑顔。
「それ、持つよ」
 私のお泊まりグッズが入った鞄を持ってくれる。
「ありがと」
 2人で並んで歩き出す。
 良かった。いつものはるちゃんに戻ってる。

 と、思ったけど、やっぱりなんか違う。
 話してても、目を合わせることが少ない。
 なんかぎこちない。
 いつものように振る舞おうとしている、という感じだ。ということは、私からは何も言わない方がいいのかな。
 はるちゃんの様子を伺いながら、電車に乗った。



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