ずっと一緒に 〜後輩男子の奮闘記〜
隆春
電気を消したら、カーテンの外がぼんやりと明るかった。
ベッドに戻ると、ぐっすり眠っている千波さんがいる。
横に入って、ぴたっと体をくっつける。
千波さんの体は、相変わらずやわらかくて気持ちいい。
腕枕をして、抱き寄せる。
頭をなでると、千波さんが気持ち良さそうに笑った。
無理をさせてしまった。
でも、気が収まらなかった。
どうしようもなくて、千波さんは俺の恋人なんだという証がほしかった。
そんな証なんて、今は確かだとしても、変わってしまうかもしれない、とはわかっている。
それでも、ほしかった。
千波さんは、俺の不安を受け取ってくれた。
凄く嬉しかった。
千波さんの髪は、今日は俺と同じシャンプーを使っているから、いつもとは違う匂い。
でも、変わらない千波さんの匂いが混ざっていて、安心する。
千波さんの匂いに包まれて、千波さんのやわらかさを感じながら、夕方のことを思い出していた。
「須藤さん、帰ってきたばっかりで申し訳ないんですけど、これ運ぶの手伝ってください」
明らかに、1人で運べる量の書類。片手で充分だ。
「ついでに会議の準備手伝ってもらえますか?」
久保田君は、腹黒笑顔で言う。
「……わかった」
「お願いします」
久保田君は、スタスタとフロアを出て行く。
会議室は上フロアにある。
頼まれた書類を持って、付いて行った。
夕方、外回りから帰って来たら、千波さんと久保田君が、書類を作っていた。何かを話しながら。
会話は聞こえなかった。
でも。
久保田君が、千波さんを見ていた。
優しくて、愛おしい人を見る目。
この目は、俺が千波さんを見ている目と、同じだ。
千波さんは、背中を向けているから顔は見えない。
でも、きっと笑顔で話している。
嫌だ。
俺と同じ目をしたヤツに、笑顔を向けないで。
久保田君が、見ている俺に気が付いた。
「お疲れ様です」
千波さんが振り返る。
俺を見ると、あの大好きな笑顔になった。
「おかえりなさい」
いつもなら、凄く癒されるのに。
俺は、自分の中に沸いたドロっとした感情を処理できなくて、何も言わずにデスクに戻った。千波さんに声もかけられなかった。
その後すぐに久保田君が来て、書類を頼まれたのだ。
会議室に入って、ドアを閉める。
月曜午前中の会議のために準備がされていて、久保田君はノートパソコンとプロジェクターの電源を入れていた。
「これは?」
書類を示すと、受け取った。
「こっちのセッティングお願いします」
今まで自分がいたところを指す。
久保田君は書類を持って、並んだ椅子の前に一部ずつ、ゆっくり置いていく。
置きながら、静かに言った。
「僕、やっと、本田さんに普通に話してもらえるようになりました」
俺は答えずに、プロジェクターの設定をする。
「人見知りだって聞いてから、話しかける回数を増やしてたんですけど、7月も半ばでようやくですよ。僕は見てませんけど、これがなかった須藤さんは、やっぱり特別なんですね。周りもあったかく見守る訳だ」
久保田君は、俺が持ってきた書類を配り終わり、自分が持ってきた書類を重ねていく。
「本田さんとは、仕事とか食べ物とかケンさんの話とかいろいろしましたけど、1番反応が良かったのは、やっぱり須藤さんの話でした」
俺はプロジェクターの設定を終えて、ノートパソコンの前に座り、配っている書類のデータを開いた。
「表情がね、全然違うんですよ、他の話の時と。ああ本当に須藤さんが好きなんだなって、よくわかる表情をするんです」
データがスクリーンにきちんと映るかを確認する。
「ほんと、うらやましいです。そんな風に好きになれる人に出会えたことも、そんな風に好きになってもらえることも」
書類を配り終わった久保田君は、俺の後ろに立った。
「本田さんが、もう1人いればいいのに」
意味を理解するために、手が止まった。
「あの時、須藤さんの後押しなんてしなきゃ良かったって、思ってました」
それを聞いた瞬間、俺は立ち上がって久保田の腕をつかんでいた。
久保田は、ちょっとだけ目を見開いて、すぐに腹黒笑顔を浮かべた。
「勘違いしないでください。どうにかしようって気はありませんよ。もうあきらめてるんで」
「じゃあお前やっぱり」
「前に言いましたけど、本田さんみたいな人って、なかなかいないんですよ。僕の顔を見ない人。
好きでも嫌いでも、みんな僕の顔を見て判断するのに、本田さんは見ない。ずっと捜してて、やっと見付けたと思ったのに、もう隣には須藤さんがいた」
久保田はフッと笑った。
「知ってましたか?僕、4月生まれなんですよ。4月5日。須藤さんと約2ヶ月しか違わない。あと4日早く生まれてたら、須藤さんと同じ学年でした。そしたら同期入社です。本田さんと、どっちが先に出会えてたでしょうね」
「お前……!」
腕ををつかむ手に力が入る。
「だから勘違いしないでくださいって」
久保田は、まるで『お手上げ』とでも言うように手を軽く上げた。
「例え僕の方が早く出会ってたとしても、人見知りの壁を突破できるのは7月ですよ。その壁が無い須藤さんにかなう訳ないじゃないですか。須藤さんの方が後輩だったとしても、多分結果は同じです」
久保田が苦笑する。
「僕じゃ、あんなに安心しきった笑顔にはさせてあげられない」
その苦笑は、腹黒じゃなかった。
淋しさが混ざっている。
「須藤さんしかできないんですよ。でもね」
久保田の表情が、真剣になった。
「つまんないやきもち妬いて、本田さんに八つ当たりしてると、足をすくわれますよ」
「……何が言いたい」
「さっきの本田さんの顔、奈落に突き落とされたみたいでした。泣きそうな顔してました」
見てなかった。
俺は、あの場から、逃げ出したから。
「あんな顔させるために、あきらめたんじゃない」
久保田の目が、鋭く俺に突き刺さる。
「いつまでもあのままだったら、奪りにいきます。いつでも」
「駄目だ」
一旦緩んだ手に力がこもる。
「千波さんは渡さない。そのままになんて、絶対にしない」
さっき湧き上がったドロっとした感情が、沸騰した。
「千波さんは、俺のだから」
お前にも、他の誰にも、渡さない。
自分の中に、こんな感情があったんだと、初めて知った。
久保田が、フッと笑った。腹黒笑顔に戻った。
「千波さん、て、呼んでるんですね」
その笑いにつられて、手の力が緩む。
「次にあんな顔させたら、本気でいきますから。忘れないでください」
緩んだ手をもう一度握り、突き放す。
「次なんか無い。お前にはチャンスは来ない」
久保田は、腹黒笑顔のまま言った。
「そうであることを祈ってますよ。本田さんのために」
そう言って、ノートパソコンとプロジェクターの前に座った。
「僕、まだ準備があるので、須藤さんは先に戻ってください。お手伝い、ありがとうございました」
俺は、黙って会議室を出た。
席に戻ると、千波さんが何か話したそうにしてた。
でも、さっきのドロっとしたものをぶつけてしまいそうで、話せなかった。
今日は、千波さんが家に来る予定だ。
これのせいでキャンセルするのは絶対に嫌だ。
なんとか気持ちを落ち着けようと、目の前の仕事に集中した。