「 」
「おやすみ」
私、寝るから、と目の前の兄の部屋のドアに向かって続けて言う。
分かった、など当然、ん、とさえも返ってこない。
少しくらい返事してくれても良いのではないか。
ここまで黙り込む理由がよく分からない。
もしや、聞こえてないのか?
もう夜中の12時を過ぎたというのに、まだ部屋ではガタガタとした音や、友人との電話をしている声が聞こえる。
一体何をしているのか。
ああ、これまではこんなこと気にしていなかったのに。
今日はやっぱりなんだか可笑しい。
不思議な感覚がする。
うん、もう寝よう。
そうやって振り返ると、また玄関の開く音が。
ピンヒールの音を鳴らして帰ってきた母。
朝、上に縛っていたはずの髪は降ろされている。
あ、寝るのね
それだけを言って母は私の横を通り過ぎた。
その時に匂う、香水の匂い。
朝、母がつけている香水とはまた違う、少し男の人がつけていそうな。
きっと母は――
駄目だ。
考えてはいけない。
それ以上続けたら、認めざるを得ないだろう。
本当は、知っているけれど、私は知らないんだ。
そう、何も……何も、知らない。
なんだかやけに胸が苦しくて、ぎゅっとつまる。
その正体を知りたくなくて、私は布団に潜り、ぎゅっと枕を抱きしめた。